わたしの理想の男性像

応援していた俳優に対する気持ちは多分ガチ恋だった。

 今でこそ接触イベントが多発しているみたいだけど、わたしが追っていた時は直接話せることなんて殆どなかった。彼と厨のコミュニケーションなんかアメスタのゆっくり流れるコメントをひとつひとつ拾ってもらっていたことくらい。接触イベントやトークイベントがない役者を応援していると、役者本人の印象はかなりファンの想像の世界に傾いてくる。わたしは彼に対して理想の男性像・俳優像を抱いていたように思う。ろくに恋愛もしてこなかったわたしがガチ恋になるのは至極当然だったのかもしれない。

 ブログやTwitterで節目節目に丁寧に言葉を紡ぐところ、アメスタで拙いながらも懇々と話をするところ、毎公演カテコで自分のファン1人ずつに目を向けるところ、全員の名前を覚えようという心意気を感じるところ、実際に覚えているところ、ファンに分け隔てないところ。

彼にがっかりしたことなんて一度もなかった。他厨がオタに媚びてるって思ったとしても、わたしは一度もそんなこと思わなかった。お花畑って蔑称が俳優の良いところ以外見えていない厨を指すなら、わたしは間違いなく超絶お花畑だった。そりゃあもうとんでもなく。

好きな人には好かれたいじゃないですか。でも冷静に考えてオタクが好かれたい()とかほんと何言ってんの()って思われてしまうので、嫌われないことを一番に心がけた。行けるだけ行ったしお花も手紙には書かず匿名で出したし*1プレゼントも買った。出待ちなんて論外。若くて金遣いの良いおたくこそが一番だと思っていた。同厨に叩かれるポイントをただの一つも作りたくなかった(顔はまあ仕方ないとして)。

慎ましやかな良いオタクであることになによりの熱量を注いでいた。幸い?彼は月1くらいで舞台はあったけど、規模も小さく公演数も両手で足りるくらいしかなかったからJKやただの一般職でも通うのは容易いことだった。2.5の俳優を追ってる人の半分もお金は使ってないと思う。

 

今までのわたしの人生は、おたく以外の場面でも自分は悪い人間ではない(というかそうありたい)という思いが常に心の支えになっていた。

誰かと揉めそうになったら、決してやり返さず言い返さず、第三者が仲裁に入った時にそれは100%相手が悪いですとなるように仕向けたいという思いがずっとわたしの中にある。あなたに非はありませんと言われたい、誰かに肯定してもらいたいという気持ちが大きく胸の中にある。腹の内はともかくとして、表面上は間違ったことをしない人間でありたい。

 これは異性に対しても同じで、悪い人間ではないと表面上思える人を好きでありたいと思っている。界隈では常々カノバレだのなんだので炎上が頻発しているけど、そういう匂わせも全く感じない推しに魅力を感じていた。もちろん芝居をしている姿も好きだったけど、ファンに見せている内面の完成度がたまらなく好きだった。あの時ファンに見せてくれていたその内面のままの彼とお付き合いしたかった。そういう意味でのガチ恋だった。 そんな思いを抱えて応援していたら、ちょっとばかしこじらせすぎてしまった。

わたしが見ている姿が彼の全てじゃないことなんて百も承知で、彼の見せてくれる俳優像をわたしはお金で買っていたんだと今は思っている。本当の彼なんて知りたくないから、本気で付き合いたかったかって聞かれたらきっとそうじゃない。

5年10年応援し続けたとき、多分わたしは彼氏もいないままおばさんになってるんだろうなあって未来だけがものすごく簡単に想像出来た。彼も厨もいい年になって、ある日突然カノバレとか結婚報告なんかがあったらきっとわたし死んでしまうと思った。彼女いるんだろうなあって人と彼女いますって人では天と地の差があって、彼女いるってわかってる人のことをわたしは応援出来ない。絶対マジで本気で100%無理。

なぜなら理想の俳優像を見せてくれた彼のことが好きだから。

でもいつかきっとその時はくるし、わたしも永遠に良いおたくをやってる訳にはいかないことなんてわかってて、そしたらもうめちゃくちゃ怖くなっちゃって、別の俳優に降りた。まだカノバレも何にもしてないのに。今度は内面じゃなくて芝居が好みの俳優にしてみたけど、色々な場面での脇の甘さが目に余って結局全然ハマれなくて、すぐに降りて街コンに行った。第一回の街コンの人と今も付き合ってるよ。すごくない?

つまりわたしがオタ卒したのは妄想が行きつくとこまで行った結果だった。

順調に一般人やっている。ほぼ初めてまともに交際を始めたせいで、最初の3ヶ月くらいは世の中の男女こんなことしてんのかよあの彼もこういうのやってんのかよほんと無理死にたいって毎日思っていた。現場行かなくなって1年半くらい経つけど全然まだ余裕で好きだし、遊びに行きたいとは思ってるけど多分接触イベントなんか行った日には即刻出戻りすると思う。全然現場来ないのにTwitterで好き好きうるさいピンチケの気持ちをようやく理解した。現場でのちょっとしたストレスを感じず日常生活謳歌して、たまにSNSとかチェックするのノンストレスすぎる。ああいうピンチケが〇〇くんのふぁん名乗っていいなら一銭も落としてないわたしだって古参名乗っていいよね。死んでも名乗らないけど。

わたしが自信をもって今この一瞬が人生で一番幸せです!!!って思える時がきたら、久しぶりって言いに現場に行きたい。完全にこっちの事情で勝手に行かなくなって勝手にまた来たおたくだけど、きっと彼は笑顔で久しぶりって言ってくれる。はず。だってわたしが一番だいすきな理想の俳優だもん。

女としての幸せを目指して厨降りたんだから、絶対に幸せにならなければならないし幸せになるよ。破り捨てられたっていいから絶対に事務所に結婚しましたのハガキ送るんだわたしは。

早めに幸せになりたい。そして早めに会いに行きたい。

 

おしまい

*1:誰が出してるかなんてわかってるよね?という気持ちはかなりあったけど、紫のバラの人になりたかった。

月刊「根本宗子」第13号 『夢と希望の先』

幼馴染とおたくをしている間に出来た友達を除くとわたしには自力で作った友達が1人しかいない。その子とはものすごく仲がいいってわけじゃないし、考え方とか性格とかも似ていない。ただ出席番号が前後だったことがきっかけだった。お互い激しくない性格で、人に合わせるタイプの人間で、クラスにあまり馴染めてなかったからなんとなく一緒にいた。高校1年2年と同じクラスで、ちゃんとお互いのことを話すようになったのは2年の最後の方だった。3年生のときは違うクラスだった。

その子の好きなバンドのライブについて行ったり、学祭を見に行ったりでなんだかんだ高校卒業後も年に3回くらいは会っている。その子は今大学生だけど現在休学中で、わたしは高卒で事務職をしている。お互い違う環境で暮らすようになって、ああわたしこの子の生き方が全く理解出来ないんだなって知り合って6年目くらいで最近思った。自分の考えを曲げたくなくて、自分が間違ってないと思ったら謝りたくないようで、事なかれ主義のわたしはもっと上手に生きればいいのに、なんて上から目線だけど話を聞くたびに思ってしまっている。話し方や雰囲気は温厚なのに妙に頑固なところがある子だ。

もっとこうした方がいいんじゃない?あなたの為に言うけど、なんて言葉がいつも喉から出かかるけど大きなお世話だろうと飲み込むことが多々あって、今まで遊んでいる間は楽しいのにその後3日間くらいもやもやしてしまっていた。そして、ちょうど先週その子と遊んだので今週はもやもやが続いていた。

そんな中、今週の木曜日に月刊 根本宗子「夢と希望の先」を観に行った。

小さい頃からずっと一緒にいた親友と芸術家志望の24歳無職の彼氏との間で板挟みになって彼氏を選んで10年後、完全にフリーターになった彼氏に浮気されて別れて10年前の親友に懺悔するって内容だった。

もっと超越した所へ。から観始めて今回が一番つらかった。

10年前に絶交した親友に「私に会いたくなったら聞いてね」って渡されたCDに入っていた"さっちゃんのセクシーカレー"を聴くシーンで号泣だった。何年来の親友だとか彼氏が糞野郎だとかそういう背景は抜きにして、2人とも主人公のことが大好きでこうなってほしいっていうビジョンが各々の中にあるんだろうっていうのがめちゃくちゃよく見えた。そしてそれを押し付ける言い方しか出来なくって、主人公のさっちゃんもさっちゃんで正しい道を見誤ってしまって不幸へと一直線で進んでいた。

おたくをやめて彼氏をつくって、普通の生活をするようになってから根本さんの書く話に共感したり明日は我が身と怖くなることが増えた。面白いのはもちろんだけど、自戒の意味も兼ねて根本さんの舞台を観に行っている面もかなりあって、今回はまさにドンピシャだった。

「あなたの為に言ってるんだよ」「普通はこうだよみんなそう思ってるよ」という呪いの言葉がずっと頭から離れない。主人公のさっちゃんがわたしの友達で親友のえっちゃんをわたしに投影して観ていた。わたしは舞台みたいに重要な人生の分岐点を争っているわけじゃないけど、もし友達が誤った(ように見える)選択をした時きっと出来ることは何もなくって、10年後のさっちゃんを優しく受け入れることしか出来ないんだろうな。つらいな〜〜〜〜10年後のさっちゃん幸せになれるといいな。

10年前の親友のプールイさん演じるえっちゃんは、言ってることは間違ってないのに「私はさっちゃんが大好きだから言ってるんだよ?」「絶対おかしいよ!普通そんなことしないよ!!」ってただそれだけを繰り返すことしか出来なくて、自分の決意をひたすら否定され続けるさっちゃんは逆上することしか出来なくなっちゃって、本当に悪い説得のお手本のようなシーンだった。自分の意見を"普通はこうだよ"って言葉を隠れ蓑にして話されるの本当に腹立たしくて、えっちゃんの言ってること何も間違ってないのに観ているこっちが何故かムカついていた。

わたしの友達が不幸になるわけじゃないし、必ずしも間違った選択をしているわけじゃない。わたしの考え方とは全く違う生き方をしているからってわたしが悩む必要もきっとなくって、ただ話を聞くに徹するのがきっと正しい。最近母親に「人を思い通りにするなんて無理だってあんたたちを育てて悟った」って言われて、わたしの心に何かがグサリと刺さったけど、身内でそれなんだから他人を思い通りにするなんてもっと無謀なんだろう。劇中の言葉を借りるなら、どんなに似てると思っても結局同じ人間なんていないもんね。心に刻もう。

共感が高まるにつれてどんどん根本さんの舞台を一人で観るのがつらくなってきてしまって、来年の一本目は彼氏を引っ張っていくことにした。舞台デビュー。劇中の台詞で、「10年前私が偶然すれ違ったのが友近じゃなくて香取慎吾だったら完全に運を使い果たしてたね」っていうのがあったけど、終演後駅前で馬鹿よ貴方はのファラオさんを見かけてどっちだろうの気持ちになったよ。

本多劇場は今回初めて行ったけど、下北サンデーズ大好きマンには感慨深いものがあった。初本多劇場で面白い演劇が観られてよかった。長井さん出ないのめちゃくちゃ残念だけど来年も楽しみだな。

 

おしまい。

 

やっぱこれだね

だーじゃーはお

ミュージカルテニスの王子様上海公演に行ってきた。テニミュを初めて見たのは2nd関東氷帝で、関東立海以降は2nd全立3rdルド山吹のみ。そんなテニミュにわかファンのわたしが海を越えてきた。

遠征理由は単にパスポートを持っているのに全然使ってなくて勿体無いから。その土地の名所に興味がないので、テニミュという目的がありつつ普段行かない土地に行けるというのは願ってもないことだった。

青春体感ミュージカルだってことをしみじみ感じた上海公演だった。2nd関東氷帝以前にサマフェスってイベントがあったと思う。色々と物議を醸したサマフェス。わたしが初めて参加したテニミュに関係する催しである。本公演観劇前にそこで推し(のようなもの)が出来てしまったために、キャスト誰一人に興味がない中で自発的に足を運んだのはこの上海が初めてだった。*1更に原作を所持しているものの、特定のキャラクターが好きということもないので、キャラへの思い入れもない。

そんな人でも楽しめる、それがミュージカルテニスの王子様。複数公演行っていた頃から揺るがないM1だけのためにお金を払える感。M1どころか漫画でよく知っているキャラクターが今目の前に実在して青白い光に照らされながらポーズを決めているその瞬間だけに6000円払えてしまうよわたしは。テニミュっていいなあという思いが冒頭で全身に溢れてしまった。

上海公演を観劇するにあたって不安要素と言ったら無事に帰国出来るかと観劇マナーの違いに関してだったけど、思っていたよりも良かったんじゃないかと思う。私語はたくさん聞こえてきたけど不思議なもので、言葉は理解出来ないのに何に興奮しているのかがわかってちょっと面白かった。過激厨じゃないからわかる☝︎の気持ちになって楽しかった。ちゃんと日本式マナーでやる努力もされてたし。

hatenanews.com

 「スマホを舞台に向けているお客さんがいると、劇場スタッフが後ろからその画面にレーザーポインターを当ててくるんです。そうするとお客さんはスマホをしまう。舞台上よりも客席で何本ものレーザーの光が飛び交っているという、不思議な光景でした」とその様子を振り返ります。ところが、公演を重ねるたびにレーザーポインターで注意を繰り返していたところ、千秋楽公演でスマートフォンを取り出した観客は0人だったそう。

噂には聞いてたけど、本当に写真撮ってる人の電子機器にレーザー当ててた。物理的すぎて笑ってしまった。そんなこんなで日本とは少し違った環境のテニミュも楽しむことができた。日本人はチケットが全て当日引き換えだったのかな、引き換えたら観劇した2公演ともいい感じの席が出てハッピーだったのもある。

小声ですらない会話をガンガンしてるような人たちなので 劇中の驚嘆の声なども日本とは違って、リョーマ着替えのシーンの盛り上がりには笑ってしまった。発声上映とか応援上映とか流行ってるけど本当にそんな感じ。やっぱりリョーマ手塚不二跡部は人気なんだなと思った。本公演での歓声にそこまでの差を感じたことはなかったから新鮮だったし、カーテンコールで挨拶に出てくる時の歓声は最高の誉れだろうなあと思ったよ。

こんなくそにわかなのに海を超えた言葉も通じない国でこんなにも歓声があがるテニミュはなんてすごいんだろうかと感動してしまった。テニミュってすごいんだよ。VIP特典で写真も撮れたし楽しいことばかりの上海だった。テニミュの楽しさに気づいてしまったわたしは次の六角からはちゃんと行く決意をしたのだった。

一応青学トリオ厨のわたしは、トリオを中国語で青学三小花と書くと知ってなんて素晴らしい表現だろうと思った。そうだよトリオは青学の小さい3つのお花なんだよ。これ以上ない最高の表現だね。上海公演てこともあってかなり中国語が取り入れられていたけど、発音がかわいくてかわいくて何て言ってるか全然分からなかったけどとにかくかわいかった。あと中国語わからなすぎて全部うまく聞こえたけど結構通じてないのもあって笑った。

また海外公演あったら行ってしまうかもしれないなあと思った上海公演であった。

 

おしまい。

*1:6代目卒業以降は人から誘われて行っていたので。

手紙の話

マネして書きます。わりと前にtogetterでまとめられてたやつがあったなあ。

 

①宛名

宛名シールを貼ってる。

フルネーム+様

公演名+会場名

日付

の並び順で書く。漢字だったりひらがなでフォントみたいに書いたり。かなシールのときもある。

 

②書き出し

"〇〇くんこんにちは。まず、〇〇お疲れ様でした。"で統一。

 

③内容

敬語。一つ前の舞台の感想。その舞台の期間に自分にあった出来事・推しかぶりの人と話した内容。次回作品への期待・予想。

マイナスなことは書かない。

 

④締め

"最後まで読んでいただきありがとうございました。〇〇楽しみにしてます。"で統一。郵送しないので締めの後に日付と名前。封筒に名前は書かない。

 

⑤頻度

1作品につきなるべく1通。筆不精なので書く気がしなかったときはプレゼントにつけるポストカードに長めに文章を書くだけ。

 

⑥手紙の枚数

5枚〜。他の方々のエントリ読んで枚数が少なくてびびっている。筆不精なせいで舞台2作品分の感想+次回作への期待を書いたりするからとにかく手紙が長い。短くする努力は特にしたことはない。

 

⑦手紙の種類

テニスの頃とテニス以降で別のにした。テニスの時はマイメロでそれ以降は便箋と封筒が別売りのやつに統一。

 

⑧手紙を書く時間

通勤中とかでiPhoneにちまちま下書きを書いて、舞台初日に一番近い土日で清書。集中力がないので下書きがある手紙を書くのにも4時間くらいかかる。

 

⑨番外編:こだわり

SARASAの5mmボールペン。

段落の頭に必ずいちごのシールを貼る。ドルステ期間はリトルグリーンメンのシール。特に意味はないけどかわいい。

舞台に関わりあるモチーフで封筒をデコる。おたくの友達が封蝋セットをくれてからはずっと使ってた。

 

⑩まとめ

枚数は多いけど大したことも書いてないのでそんなに思い入れもない。書いたやつは全部写真に撮って保存してるからたまに見返してわかるわ〜それな〜と思う。その時間は結構好き。

 

おしまい

笑顔で君とはさよならするよ

カスタマイZというバンドの解散ライブに行ってきた。skr21.hatenablog.com

skr21.hatenablog.com

カスタマイZというのは元々カスタマイズっていうバンドのギターが脱退すると同時に解散。新しいボーカルを迎えて元のボーカルがギターへ移動という形で再結成されたバンドだ。

そのZの解散ライブということは、彼らは2度目の解散となる。わたしのうだうだしたくそな気持ちは誰が読むのかみたいな長い上のブログに書いてるんだけど、解散ライブ終わったからまた書く。

ファイナルステージでは無印の頃のオリジナル曲は聴けるだろうか。最後にそれさえ聴ければなんの悔いも無い。

なんてことを1ヶ月前のわたしはブログに書いたけど、instinctも君の名前を呼んでいるもやらなかった!!悔いめっちゃ残ってしまった。

よくよく考えてみれば、このライブはカスタマイズではなくカスタマイZの解散ライブなので、無印の頃の曲なんてやらなくて当然だよなと終わってから気付いた。どう考えても志半ばでの解散で、過去の曲なんてやってる場合じゃない。Zの全てを出し切って終わりたいよな…という形で無理矢理自分を納得させたので、その点に関して今後考えるのはやめよう。

解散ライブは平日18:30スタートとかいう社会人にはなかなか厳しめの時間で、開演5分前くらいに友達と合流して観てたんだけど、知ってる曲が3曲しかなかった。Z全然追ってなかったけど、ここまで知らない曲があるとは思わなかった。

1曲目が無印時代のもののけ姫だった。知ってる曲だー!!と思ってすごくテンションが上がったのに、この後に及んでZ受け入れてない芸人は聞こえてくる歌声があの頃とは違う人で、且つ大好きだった人がセンターにいない現実がつらすぎてちょっと泣いてしまったよ。

MCなんかも殆どなくてずっとZの曲を歌い続けて演奏し続けていた。途中でやっとMCが始まったと思えば、メンバー誰がかっこいいか声援で決める、若手俳優トークイベントみたいな謎のコーナーが始まった。これは本当に解散ライブなのかという感じがあった。Zのことが全くわからないけど、きっとあれが普段の"カスタマイZらしさ"だったんだろうと思う。

なんか尻の話とかしてた。解散ライブなのに。解散ライブなのに尻を蜂に刺されて軟膏塗った話してた。若手俳優コーナーの罰ゲームでノニジュース飲んだりしてた。解散ライブなのに。解散ライブだけど泣かせない、とにかくZの曲をたくさんやって出し切って終わるみたいな構成になってたんだと思う。

何度も書くけどわたしはZのことを殆ど知らないからこのライブが始まる前までは無印のオリジナル曲とsecret baseは絶対やると思っていたし、カバー曲も少しはやるものだと思っていた。それが蓋を開けてみたらほぼZの曲だけでライブが構成されていて、Zはこんなにも曲を持っていたのかという衝撃があった。

Zの曲だけでも良かったと思うのに、無印時代のシングル曲2つをやってくれたのは優しさなのかなとも思った。

secret baseをやらなかったことだけがただただ悲しかった。アンコールでギターを無印の頃のレスポールに持ち替えた時絶対にやるって確信をしたのにやらなかった。今度こそ10年後の8月には絶対会えないんだなあって勝手にこじつけてしまった。

 解散ライブというものに行くのは人生で2回目で、両方彼らのライブ。あんなに報われない最後があるのかってくらい彼らの最後の挨拶はつらいものだった。

誰が悪いとかじゃないけどこんな形になってしまってって言うだいちゃん。

泣きじゃくりながらやっぱり辞めたくないですって言うてらぴ。

2回目の解散なんていう情けない形になってすみませんでしたって深々頭を下げるごろー。

どれもわたしが想像していた解散ライブの最後の挨拶ではなかった。3年前の解散ライブとは明らかに言葉の重みも変わっていた。グループの解散っていうのは、メンバーの思い描く音楽の方向性が違うとか、目指す道が変わるとかで、悲しみながらもやりたいことが違うなら仕方ないねって納得せざるを得ないものだと思っていた。まさかカスタマイZ辞めたくないですなんて言葉が飛び出してくるなんて思ってもみなかった。

現場に足を運ばなくなってから3年が経って、久しぶりに見た彼らのパフォーマンスは想像を遥かに超えていた。だいちゃんもてらぴもごろーも演奏の腕が上がっていることは、音楽が少しも出来ないわたしにもすぐ分かってしまう程だった。ボーカルのHAMAも、お披露目ライブで全然発声出来ていなかった時とは全く別人のように何曲も高らかに歌い上げていた。素直に、勿体無いなと思った。

MCだって、わたしの知ってる栗原吾郎はとにかくマジレス男で真顔で訳分かんないことを口走るような人だったはずなのに、ものすごく立派にリーダーとしてきちんと場を纏めていた。演奏やMCの端々で、3年前とは違うんだということを感じずにはいられなかった。

みんな、"カスタマイZは大切な場所です。沢山のスタッフさんやファンの皆さんの期待に応えられなくてごめんなさい。この2年半、カスタマイZとしてやってきたこの思い出は死ぬまで忘れません。"って言ってた。わたしなんかはともかく、追いかけていたファンの悲しみはいかばかりかと。円満な解散って変な字面だけど、円満じゃないんだろうなあって少なくともわたしは思った。悔いが残ってしまっているんだなと思った。

s.ameblo.jp

解散ライブでは語られなかったけど、メンバーブログの一番最後に更新されたこの記事で、解散理由は推しが辞めるからだということが分かってしまった。事実を聞けて良かったような、一生知らないままでいたかったような気分だ。

いつも飄々としていて何を考えているのかわからないような人だったけど、ブログの文章を書くのは妙に上手で、こんな時にもいいブログ書くなあって泣いてしまった。

ファンから言えることなんて今までありがとうとこれからも別々の道で頑張ってねってことくらいで、本当に無力だなあ。

これから先はバラバラになるメンバーの幸せを願うしか出来ない。芸能の世界でこれからもやっていくって断言してるだいちゃんとてらぴは舞台を観に行ったりして応援が出来るけど、残りの二人がもし引退するならば、もう祈ることしかわたしには出来ない。

わたしは大好きだった栗原吾郎くんが、お茶の間で活躍する姿が一度でいいから見たかった。多分難しいって感じているけど、それでも叶ったらいいななんて思うことくらいは許してほしいな。

わたしが早々と応援を辞めてからもずっとずっとZを応援してた子と最後に写真が撮れたのが嬉しかった。LINEカメラのスタンプをメンバーカラーにして顔を隠すのが懐かしくて、ついやってしまったよ。メンバーのみんなもファンのみんなもお疲れ様でした。

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会場に入る前に友達が無印の頃のギターだったけんちゃんに会って、青い服に青いヘッドホンをしてたって言ってた。カスタマイZの解散ライブに青を着て来てくれるってことだけで、わたしはもうそれだけでものすごく嬉しかったよ。無印の音源もっと沢山欲しかったな。

 

おしまい。

 

側にいるのに遠いから②

skr21.hatenablog.com

 

前記事の通り、その後のワンマンで解散が発表された。動員がずっと少ない中でメンバー内でも色々思うところがあったんだろうと思う。抜けることとなった子のための前向きな終わり方だったのかなとなんとなく今まで思っていた。

だけど、学校の友達を呼んでまで再結成して、アニメのタイアップとかももらって、それでもやっぱり解散することになった理由ってなんだろうなと少し考えた。だって何かやり残したことがあったから再始動したんだとばかり思っていたから。メンバーの誰かに大きな仕事でも入ったんだろうか。

無印の解散がわたしの推しから発表された時、まわりのファンの子達がどんどん泣き出したのをよく覚えている。殆どが見たことのない子達だった。今この場で泣いている子達が、1回2回でも武者修行のライブに行っていたならば、もっと先まで彼らの活動を応援できていたんじゃないかと思ってしまった。終わりが決まってから後悔しても何の意味もないんだよと思った。だけど今こうして現場に行かないことを後悔している自分がいる。

現場でつらいこともそれなりにあったけど、無印のころの彼らが本当に本当に大好きだったのでZを受け入れることは今でも全く出来ていない。Zの現場に行ったのも、グループが一堂に会するライブを除けば2回だけだ。

そんなわたしが後悔なんて言ったら語弊があるかもしれない。 現場に行っていないのは単に今の彼らの音楽が好みではないからで、解散してもしなくても今のわたしには何の影響もない。今まで自分の中心にあったものが突然消えるという喪失感があるわけでもない。

だけど、あの頃好きで好きで仕方なかった彼らの努力や苦労は目標*1を達成出来る事なく終わってしまうのだなということに一抹の寂しさがある。

わたしがいつか結婚式を挙げた時に彼らに営業かけて出演依頼をしよう!!っていう冗談すら言えないことがとにかく寂しい。知ってるおたくと同窓会してみんなでグループグループショット撮りたかったなあ。

無印のワンマンライブで解散が発表された後に演奏が始まった曲は、secret base〜君がくれたもの〜だった。『10年後の8月また出会えるの信じて 最高の思い出を』って歌詞がある大好きな曲だ。10年後の8月に彼らが存在しているかっていったらそれはそうじゃないかもしれない。なんとなくそんなことを思ってはいたけど、そのときまた会いに行けたらいいなあと少なからず思っていた。でももう10年後にはZも存在しない。

ずっとずっと応援するんだって信じてやまなかった俳優のおたくを辞めて、結局おたくなんてただの趣味でしかないんだなとつくづく感じた。俳優やアイドルがどんなに頑張っていても、おたくは個人の事情で簡単に離れていく。おたくが応援していくことも彼らが活動を続けていくことも、絶対なんて確証は何処にもない。あの時行っていればって後悔だけをしないように生きていくしかないんだな。

もし推しがEBiDANに加入せず、横浜くんのようにニコラモデルを引き連れてライブを観に来ている側の人間だったなら、彼は俳優として成功を収めていただろうか。元々俳優としての彼のファンだったせいで、最近になってそんなことを考える。たらればでしかないのは分かっている。

Zの4人いるメンバーのうち、はっきりと今後も芸能活動を続けていくと明言しているのは2人。特に言及していないのが2人。わたしの推しは後者だ。ファイナルステージが最後の姿になるのかそうでないのか、まだ分からない。

芸能界で生きていくことが始めから決められたようなビジュアルを持って、声も頭も運動神経も良い彼はこれからのことをどのように考えているのだろう。彼にとって幸せだと思える決断をしてほしいと思っている。ファイナルステージでは無印の頃のオリジナル曲は聴けるだろうか。最後にそれさえ聴ければなんの悔いも無い。

今後の彼らの人生が芸能人であれ一般人であれ、幸せで充実したものでありますように。

 

おしまい。

 

 

解散ライブ感想

*1:アニソンで天下を取って埼玉スーパーアリーナでワンマンライブをすること

側にいるのに遠いから

とあるバンドが解散するらしい。高校2年生だった頃に好きで好きで仕方なかった人たちだ。高校3年生の夏にも一度、卒業という名目で事実上の解散をしている。

1度目の解散が発表されたのは2013年の8月1日だった。

skr21.hatenablog.com

 その日は彼らの初めてのワンマンライブだった。更には、メンバーの1人の16歳の誕生日だった。今ではオリジナルうちわなどを配布して行う生誕企画だけど、当時はルミカサイリウムを配って行った。結局最後までその日誕生日だった彼におめでとうと言えることはなかった。

少し経って、彼らは事務所の先輩であるももいろクローバーZに倣ってか、今までのグループ名の末尾をZに変え再始動した。*1あの日誕生日だったメンバーはいなくなっていた。代わりに新メンバーが入るらしく、おたくの間では大予想大会が開かれていた。

お披露目ライブのある12月29日まで情報戦が繰り広げられていたのを覚えている。大手であるスターダストには所属しているだけで活動をしているのかも分からないような人たちが何人もいた。きっと新メンバーになるならその中からだろうとなんとなく思っていた。

ライブ当日に品川ステラボールのスクリーンに映し出されたのは、当時おたくの間で有力とされていた人だった。ボーカルの学校の友達で、芸能活動をしていたわけでないただ歌の上手い高校生だ。なんだよ学校の友達って。彼の加入によって元々ボーカルであったわたしの推しはギターボーカルへと変わり、新メンバーをボーカルとして迎え新体制のグループが出来上がった。

話は戻り、わたしは無印結成のお披露目である2012年3月20日から翌年春くらいまでしか現場に通っていない。そこから先はゆるゆるとしか現場に行っていなかった。

無印のワンマンが行われた時、わたしは既にアイドルステージの方に夢中だった。だけど初のワンマンライブということを踏まえて、初めてスタンド花を出した。これからどんどん濃い色をつけて活躍していけますようにという願いを込めて、4人のメンバーカラーのパステルカラーで作ってもらった。勿論無印の彼らが活躍することはなかった。

解散が発表されたあの時、もう殆どその現場のおたくと呼べない状況だったわたしは、悲しむことも出来なかった。ただただその発表はなんで今日なんだろうと思っていた。

ワンマンライブ終了後に予定されていた特典会は、メンバーが浴衣を着て対応してくれるというものだった。たくさんのファンの子たちがかわいい浴衣を着ていた。わたしもその中の1人だった。初めてのワンマン。メンバーの生誕*2。浴衣で特典会。楽しいことが詰まっているはずのライブは、終演間際の推しの一言で全て消え去ってしまった。

開演前にCDを購入して特典券を手に入れていたけど、言いたい言葉も思いつかなくて、2ショットを撮る気にもなれなくて、特典券を友達にあげてそそくさと家に帰ったのを覚えている。解散理由は、認めたくないけど人気がなかったからかなと思った。

本当に動員がなかった。彼らは数ヶ月間武者修行というタイトルで週に何度も各地のライブハウスで演奏活動を行っていた。ほんとにまじでやばいくらいおたくが来ていなかった。実際わたしも全然行っていなかった。たまに行くと、2桁もおたくがいないなんてこともあった。毎月一回、横浜のアニメイトで無銭ミニライブ+特典会をやっている時はそこそこの人数が集まっていたように思う。つまるところ環境の整ったライブハウスでの演奏や歌よりも、握手や2ショットを撮ることの方がおたくにとって重要だったってことだ。

 元々彼らは楽器を得意として集められたわけではなかった。EBiDAN THE LIVE春の陣というライブで、お披露目される1ヶ月前くらいに楽器を始めたような人たちだ。

その一つ前の12月のEBiDAN*3のイベントでは今をときめく超DPの方々や、今はもうないけどクリーミーさんなどなどといったグループがあった。もっと作っちゃおうみたいなノリで作られたんだと思う。多分。

ダンスボーカルグループじゃないけどその12月のイベントは保健室という演劇ユニットもあって、あの横浜のりゅうぴーとかがいた。結局保健室はわたしの初現場となる3月のライブには出なかったので、12月こっきりで終わってしまったらしい。

そんな感じで元々EBiDANとして活動していた3人と、EBiDAN新加入の推しの4人でバンドを組むことになった。たどたどしい演奏だったものの、3月5月とオリジナル曲を披露していた彼らはとても格好良かった。

8月になって新曲です!と言って弾いたのがハレ晴レユカイだったときはひっくりかえったけど。アニソンカバーバンドとしての幕開けだった。この間にレギュラーラジオでグループ名の募集があったりした(それまでは新ユニットと呼ばれていた)。

EBiDANという大元のグループは、元々演劇の公演や、原宿でのストリートイベントなどを行っていた。超Dのメンバーの一部が組んでいたTR2Y2というグループもあったらしい。人気を博していたようで、わたしが初めて足を運んだ3月のライブもTR2Y2が好きだったという人が多かったように思う。

無印には元々EBiDANにいた子たちもいたものの、あまりガッツのおたくはいなかった。彼らのファンという人たちは数名しか見られなかった。*4

無印のファンであるわたしから見ても、ダンスや歌、トークのどれを取っても先輩であるグループの方が上手なのは簡単に見て取れた。あの中で楽器初心者の彼らがファンを増やしていくのはなかなか難しいことだったろうなと今も思っている。

そんな彼らも2012年の10月にはインディーズでデビューを果たした。1stシングルはびっくり仰天、ハレ晴レユカイだった。無印としてのシングルは1stのハレ晴レユカイと、これまたびっくり2ndのもののけ姫の2枚だけだった。なんだよもののけ姫って。

 

長いので分けます。 

 

*1:前グループを無印、現グループをZとする。

*2:今までの流れとしては何かしらの歌を披露するだろうと思われていた

*3:恵比寿学園男子部の略称。

*4:当時1セット500円の写真を買うとグループ毎に握手が出来たので人気差は歴然だった