とあるバンドが解散するらしい。高校2年生だった頃に好きで好きで仕方なかった人たちだ。高校3年生の夏にも一度、卒業という名目で事実上の解散をしている。
1度目の解散が発表されたのは2013年の8月1日だった。
その日は彼らの初めてのワンマンライブだった。更には、メンバーの1人の16歳の誕生日だった。今ではオリジナルうちわなどを配布して行う生誕企画だけど、当時はルミカサイリウムを配って行った。結局最後までその日誕生日だった彼におめでとうと言えることはなかった。
少し経って、彼らは事務所の先輩であるももいろクローバーZに倣ってか、今までのグループ名の末尾をZに変え再始動した。*1あの日誕生日だったメンバーはいなくなっていた。代わりに新メンバーが入るらしく、おたくの間では大予想大会が開かれていた。
お披露目ライブのある12月29日まで情報戦が繰り広げられていたのを覚えている。大手であるスターダストには所属しているだけで活動をしているのかも分からないような人たちが何人もいた。きっと新メンバーになるならその中からだろうとなんとなく思っていた。
ライブ当日に品川ステラボールのスクリーンに映し出されたのは、当時おたくの間で有力とされていた人だった。ボーカルの学校の友達で、芸能活動をしていたわけでないただ歌の上手い高校生だ。なんだよ学校の友達って。彼の加入によって元々ボーカルであったわたしの推しはギターボーカルへと変わり、新メンバーをボーカルとして迎え新体制のグループが出来上がった。
話は戻り、わたしは無印結成のお披露目である2012年3月20日から翌年春くらいまでしか現場に通っていない。そこから先はゆるゆるとしか現場に行っていなかった。
無印のワンマンが行われた時、わたしは既にアイドルステージの方に夢中だった。だけど初のワンマンライブということを踏まえて、初めてスタンド花を出した。これからどんどん濃い色をつけて活躍していけますようにという願いを込めて、4人のメンバーカラーのパステルカラーで作ってもらった。勿論無印の彼らが活躍することはなかった。
解散が発表されたあの時、もう殆どその現場のおたくと呼べない状況だったわたしは、悲しむことも出来なかった。ただただその発表はなんで今日なんだろうと思っていた。
ワンマンライブ終了後に予定されていた特典会は、メンバーが浴衣を着て対応してくれるというものだった。たくさんのファンの子たちがかわいい浴衣を着ていた。わたしもその中の1人だった。初めてのワンマン。メンバーの生誕*2。浴衣で特典会。楽しいことが詰まっているはずのライブは、終演間際の推しの一言で全て消え去ってしまった。
開演前にCDを購入して特典券を手に入れていたけど、言いたい言葉も思いつかなくて、2ショットを撮る気にもなれなくて、特典券を友達にあげてそそくさと家に帰ったのを覚えている。解散理由は、認めたくないけど人気がなかったからかなと思った。
本当に動員がなかった。彼らは数ヶ月間武者修行というタイトルで週に何度も各地のライブハウスで演奏活動を行っていた。ほんとにまじでやばいくらいおたくが来ていなかった。実際わたしも全然行っていなかった。たまに行くと、2桁もおたくがいないなんてこともあった。毎月一回、横浜のアニメイトで無銭ミニライブ+特典会をやっている時はそこそこの人数が集まっていたように思う。つまるところ環境の整ったライブハウスでの演奏や歌よりも、握手や2ショットを撮ることの方がおたくにとって重要だったってことだ。
元々彼らは楽器を得意として集められたわけではなかった。EBiDAN THE LIVE春の陣というライブで、お披露目される1ヶ月前くらいに楽器を始めたような人たちだ。
その一つ前の12月のEBiDAN*3のイベントでは今をときめく超DPの方々や、今はもうないけどクリーミーさんなどなどといったグループがあった。もっと作っちゃおうみたいなノリで作られたんだと思う。多分。
ダンスボーカルグループじゃないけどその12月のイベントは保健室という演劇ユニットもあって、あの横浜のりゅうぴーとかがいた。結局保健室はわたしの初現場となる3月のライブには出なかったので、12月こっきりで終わってしまったらしい。
そんな感じで元々EBiDANとして活動していた3人と、EBiDAN新加入の推しの4人でバンドを組むことになった。たどたどしい演奏だったものの、3月5月とオリジナル曲を披露していた彼らはとても格好良かった。
8月になって新曲です!と言って弾いたのがハレ晴レユカイだったときはひっくりかえったけど。アニソンカバーバンドとしての幕開けだった。この間にレギュラーラジオでグループ名の募集があったりした(それまでは新ユニットと呼ばれていた)。
EBiDANという大元のグループは、元々演劇の公演や、原宿でのストリートイベントなどを行っていた。超Dのメンバーの一部が組んでいたTR2Y2というグループもあったらしい。人気を博していたようで、わたしが初めて足を運んだ3月のライブもTR2Y2が好きだったという人が多かったように思う。
無印には元々EBiDANにいた子たちもいたものの、あまりガッツのおたくはいなかった。彼らのファンという人たちは数名しか見られなかった。*4
無印のファンであるわたしから見ても、ダンスや歌、トークのどれを取っても先輩であるグループの方が上手なのは簡単に見て取れた。あの中で楽器初心者の彼らがファンを増やしていくのはなかなか難しいことだったろうなと今も思っている。
そんな彼らも2012年の10月にはインディーズでデビューを果たした。1stシングルはびっくり仰天、ハレ晴レユカイだった。無印としてのシングルは1stのハレ晴レユカイと、これまたびっくり2ndのもののけ姫の2枚だけだった。なんだよもののけ姫って。
長いので分けます。