君がいる世界の中で

 

自分の応援している人が個人のイベントをやってくれる、または出来るだけの集客がある確率って一体どれくらいだろうと最近考えている。
中学生の頃、深夜ドラマが好きで毎クール必ず見ていた。ある時ドラマに出ていたとてもかっこいい人を調べると、元テニスの王子様のミュージカルに出演していた人だった。その人がテニスに出演しなくなってからもう何年も経っていて、その頃既に2ndシーズンが始まっており、2作目が終わろうとしていた。
高校に入学してすぐにアルバイトを始め、そうして手に入ったお給料で初めて足を運んだのはサマーフェスティバルというイベントだった。
2ndの本公演をDVDですらも見ないまま参加したイベントは全く訳がわからなかったけれど、テニスの王子様に出演している人が生で観られる空間というだけで大興奮だった。なぜか奇跡的に席が大体5列目以内だったこともわたしを興奮させた。
そして、その時好きになったのが4年後まで応援することになった人だった。公演も観ないで好きになるとか今思うと意味不明だし死んでほしいけどそこから今年まで追ってられたことって奇跡だなあと思う。
 
俳優おたくになりたての高校一年生のわたしは、「学生なのであまり公演にはいれません」「学生なので遠征が出来ません」みたいなことを手紙に書いちゃう系のクソみたいな奴で、初めて手紙を書いたのも彼だし、初めて物を贈ったのも彼宛だった。つまりわたしのおたく人生はこの人と共に歩んできたと言っても過言ではない。変な書をしたためた色紙をあげたり、LUSHで700円くらいで買える石鹸をラッピングもしないでプレボに預けたり、多分歴代わたしにちょっかい出されてきた人の中で一番迷惑を被っているのも彼だと思う。
誕生日にプレボに預けたストールをいつかのアメスタで首に巻いてくれていた時があった。初めて自分の贈ったものを身につけている所を目にした瞬間だった。死ぬかと思った。
 
良席を自力で出す程の交友関係も、積むだけの財力も当時はなくて、いつも第3バルコニーから双眼鏡で見つめていた。
レギュラー陣ではないので、曲があれば万々歳。なければベンチワークかリプライズ。そこがわたしにとってのメインだった。リプライズなんて、キャラクターらしからぬキレキレのダンスはかっこいいなんてもんじゃなかった。キャラ崩壊だろうがなんだろうがラケットを握って踊っているリプライズのために5600円を払っていたくらい格好良かった。
 
認知とか対応とかそんなのとは無縁で、TSCPPの最後の握手やお見送りで彼に当たったことはなかったし、ジャンハイでハイタッチが出来たのは六角凱旋のたった1回だけだった。これは通っている回数が少ないせいが絶対的にあるけど、ハイタッチや握手は出来なくて当然、出来たら万歳三唱くらいの気持ちだった。
そういう認知とかの類いの認識をおかしくさせたのが、関東立海地方公演あたりからリリイベに行き始めた某非アイドルの人たちで、ここで金銭感覚とか対応とかのいろいろなものが壊れていった。
 
テニスを卒業してわたしの目の前から彼がいなくなってから、アイドルステージの情報が解禁されるクリスマスまでの間、わたしは非アイドルの後ろ姿を追いかけていた。そうしてえびだんで心が荒んでいたころにアイドルステージの情報が解禁された時は、神様っているんだなあと思った。とても虫のいい話である。そうなったら非アイドルなんて一気にどうでもよくなった。わたしには彼しかいないぞ!という心持ちであった。
 
よくわからないまま団扇を作り、ペンライトを購入した。当時わたしは高校3年生になっていた。舞台と言ったらスタンド花というイメージが漠然とあり、けれど相場もわからずお金も無いのでアレンジメントを贈った。10000円くらいの小さなアレンジメントだった。初日が明けたとき、会場にはいくつかの華やかなスタンドが並んでいて、あの時ほどスタンドを出さなかったことを後悔することってもうこの先きっと無いと思う。
そして公演が始まり、空白の期間に非アイドルからもらったレスを全部足しても足らないくらいの爆レスをもらった。
 
残すところあと一公演という前楽のカーテンコールで、もうあと一公演が終わってしまったらまた会えなくなるかもしれない。もう一生会えないのかもしれないと思い号泣してしまった。お前この間まで違う奴追ってたじゃねえかというツッコミをしたいくらいにボロボロに泣いた。
だけど案外次の機会はすぐにやってきた。号泣が恥ずかしくなるほどあっという間に次の公演案内が来ていた。そこからの1年はずっとずっとアイドルステージだった。アイドルもういいよって思う程に。他の出演者が違った舞台に出ている時も、彼はただただアイドルステージだけの俳優だった。アイドルステージの一作品ずつが終わる度、もう会えないんじゃないか、このままいなくなってしまうんじゃないかという不安を抱えて過ごした1年間だった。
 
けれど、ある日突然アイドルステージではない、ネルケでもない舞台の公演案内が更新されていた。人狼をテーマにした作品だった。全く知らない出演者に加え、とにかく人数が多すぎるという印象を受けた。
謎舞台と仲間内で物議を醸しながら迎えた公演はなんだかんだでとても楽しく、筋書きのない舞台もなかなか良いものだなと思った。スタンド花のリベンジがようやく出来た公演でもあった。
この作品は日毎に出演者が違うので、その日出番のない役者が物販を手売りしたりしていたのだが、なんとわたしの応援していた彼もいた。そこに。
その頃までは話せる時間と言えばアイドルステージでのお見送りや握手だった。しかしお友達( )なんていう設定のせいで役者本人と会話をするのは3年目にしてこの時が初めてだった。
わたしはまた泣いた。
 
それからというもの、月に1本とは行かずともかなりコンスタントなペースで舞台があり、アイドルステージも間にちょくちょく挟みながらといった感じでとても充実していた。とても楽しい日々だった。
けれど彼には固定でついているファンが明らかに少なかった。今でも不思議に思うくらいに少なかった。
だけど、アメスタがいつも変わらぬメンツでも、自分のファンと思われる人物がひとりしか見当たらなくても、彼はいつも変わらなかった。
カーテンコールで一人一人の目をきちんと見るところも、アメスタで入室した人の名前を必ず読み上げることも。
モンスターペアレントの思い込みと思われてもいいけど、彼ほど出来た人間っていないんじゃないかとすら思っている。
 
アイドルステージの一瞬の握手の時間に、今まで全く名乗っていない自分のファンの名前を手紙の情報から一致させて推理して、面と向かって「○○さんいつもありがとう」って自分のファン全員に言うだとか、
お手紙の返信を(しかもすごく長い)だとか、お手紙に手作りのミサンガを同封するとか、手作りクッキーを同封するとか、
なんかもう文字にして書き出すと意味不明なんだけど、俳優としての仕事を超えちゃってるんじゃないかって思うほどに色々なことを"恩返し"という形で色々やってくれた。
恩返ししたいのはこっちなのに。
なんでファン少ないんだろうなあとずっと考えていた。
 
わたしが辞めてすぐに、大きな舞台が決まっていた。そうして大きな舞台でいくつかのファンをつけて、彼は初の個人イベントを開催した。当然だよね。だってかっこいいしかわいいしファンのことすごく大切にしてくれる素敵な人だから。
今年の2月末の舞台のパンフレットに神様にお願いするなら?みたいな欄があって、そこには「いつか個人イベントがやりたい!」と書いてあった。
当時は絶対無理だよと思って泣きそうになったけれど、今こうして実現させている彼がいる。
 
主演だってイベントだって、わたしはどちらも絶対無理だと思っていた。だけど年内に両方叶えている、彼の発言を現実にさせるパワーみたいなものに今まで沢山の幸せもらってきた。
主演舞台ってすごいよ。
 
普段カーテンコールで話している人を見るべきか、応援している人を見るべきか悩むけど、主演舞台ってカーテンコールで話している人が自分の推しなんだよ。
一人一人舞台の上に出てくる中で、自分の推しが一番最後に、皆に迎えられて出てくるということがどんなに素晴らしいか。
個人イベントだって、会場に集まった人全員が、彼の為だけに集まった人なんだよそれってすごくない?
物販の写真だって彼のために用意された衣装で彼のためだけに照明があてられてって、そういう一つ一つに感動をしてしまった。
テニスの頃はとてもじゃないけど人気キャスと呼べるような立ち位置ではなかった。アイドルステージで着々と固定のファンを増やしていって、一つ一つのお仕事は決して大きいものでは無かったけれど、出演者やスタッフの繋がりで色々なジャンルの作品に出演して実力をつけていた。
 
うさぎみたいに走るのは早くないけど、地道に地面を歩いて、絶対ズルはしなくて、そうした頑張りが今徐々に報われていってるんだと思う。
もう戻ることはないけど、これから先もずっと幸せを祈ってる。素敵な人だから。
俳優をやめてしまうんじゃないか、もういなくなってしまうんじゃないか、それはわからないから精一杯追いかけようとずっと思ってきたけれど、今こうして先の心配もなく、2.5次元の主演を張るようになった彼のファンでいることを"自ら"辞める選択ができたこともまた、凄いことだなあと思う。
 
いままで沢山の幸せをくれてありがとう。
きっとこれからは大きな舞台に立つことがどんどん増えていくんだろう、有言実行のあなたが世界でいちばん大好きでした。これからもずっと素敵なあなたでいてね。
 
 
おしまい。
 
 

人生!本気(マジ)もったいないよ!

 

plan-j.hatenablog.com

お昼に職場のデスクで昼食をとりながらはてなのアイドルカテゴリーをチェックする生活を送っているのだが、このエントリーを読んで血を吐いた。

わたしは小学6年生頃にへいせいせぶんらへんのクソ茶の間だった時期が一瞬あり、じゃんぷの初ドームコンに一度だけ行って以後ノータッチみたいな底辺のおたくである。なので今の今までジャニーズに関してコンサートに行くだとか紙媒体をチェックするだとかバラエティを見るとかそういうことは一切していない。けれど深夜ドラマがやたら好きなので日テレのおかげで安井くんの顔と名前くらいはなんとなく知っていた。しかしこのような現実的なことを言うような人だということは全く存じ上げなかったので、ただただ驚きと心に負った傷をどうしようかということで立ち読みに寄った書店で暫くの間狼狽えてしまった。 

「僕たちはファンのエネルギーであってすべてではないから、僕たちを“楽しみ”のすべてにしないで」

引用の引用になるが、もうそうですねとしか言えない。それな。安井くんそれな。正論すぎて何も言い返せない。

言い返せないけれど、わかっていても貴方に会うことを本気で生き甲斐にしている人達はきっとたくさんいるしその為に会社を辞めたり就活を頑張ったりお金を捻出する為にバイトに明け暮れたりしている人達だって沢山いるんだよと思うと胸がぎゅっとなる。それはこちら側が勝手にやっていることであって一度も頼まれていないし自分に全てをかけているようなおたくに対して人生!本気(マジ)もったいないよ!*1と思ってしまうのもわかる。自分たちを人生にちょっとした潤いを与えてくれる人達としてライトに受け取ってほしいのかもしれない。

わたしはおたくをやる為だけにバイトをし、バイト以外の日は全てイベント舞台に通い、某舞台を全通するために死ぬ気で就活を終わらせたような人間であるので天下のジャニーズ様からそんな超現実的なことを言われるとは背後から包丁で刺されたような気持ちである。この記事のページより前のポポロの記事はキラキラふわふわといった感じで(松倉くんのとことか)、ジャニーズの恐ろしさを改めて感じながらページをめくっていたのでそことのギャップにも衝撃を受けてしまった。
 
しかし以前エントリーでも書いたように、わたしは現在社会人になってから夜バイトをせずとも、学校に行っていた昼間の時間を労働に使えるようになり尚且つバイト6連勤しまくりみたいな頃よりお給料は貰えている。
あの頃より圧倒的に時間に余裕が生まれているはずの現在、学生時代より圧倒的に俳優やアイドルを追いかけるための熱量が下がってきているように感じる。今も舞台は出来る限り全通はしているしお花も出しているしプレゼントも公演に1度は持っていくようにしているけれど、そういうことが段々やって当たり前になってしまい、誰も褒めてくれないしこれ以上自分には出来ることもないのだなとふつふつ感じている。なので金銭的な事であったり行動面の事ではなく、"わたしはこのままおたくをしていて大丈夫なんだろうか" "本当にこの人を好きなんだろうか" ということを社会人になった為に出来てしまった夜の暇な時間に考えるようになってしまった。

元々◯◯に会いに行く為に・CDを沢山買う為に"頑張っている"わたしが好き。のような節があったので、それほど頑張らなくてもおたくが出来るようになってしまってから急速にこの趣味への熱量が下がってしまったように感じる。多分わたしはおたくに向いていない。勿論スタンド花やプレゼントなんていくらでもお金のかけようがあるし、今持てるお金をMAX使っても足りないから夜バイトってことも出来るけどしようとは思わない。月に舞台1本あるかないかみたいな生活が安定してきて、おたく関連で出来た友達と現場関係なく普通にお買い物をしたりご飯を食べる為だけに遊ぶようになったり、一般人の友達とも遊ぶようになった。今まで推しに会う為に削ってきた時間を今取り戻そうとしている。
今ならネイルだって美容院だって服だってそれほど迷わなくても買えるだけのお金がある。自分にお金を掛けることってすごく楽しいし、おしゃれなお店でご飯を食べることもすごく楽しい。
だけれど、そういう使える時間が増えたことで自分が如何に空っぽかということが浮き彫りになってきてしまった。当たり前だ。だって学生時代に自分のことで何も努力していない。就職だって定時で上がれる一般職の事務を選んだし、資格を取るなどのスキルアップなんてしなくてもおそらく倒産しない限りは一生働いていける会社に勤めている。

何が不満なのか、上手く言葉に書き表せられなくてもどかしい。誘えばみんなわたしなんかとも遊んでくれるんだなということに最近気付き始めたけれど、やはりインスタやTwitterのリア垢で本物のリアルが充実している人達をみると溜息しか出ないし彼氏もいない、出来る気配もない、仕事終わりにどこも行かず毎日直帰みたいな生活をしていると自分以外の全ての人間が羨ましく見えてきてしまう。安井くんの言うように、俳優やアイドルをすべてにしてしまったおたくの一つの結果である。

 最近色々なことが起こり、まあなんというか、丸4年間くらい追った人のおたくであることを辞める選択をして今全く別の役者のファンを始めた。あの人のおたくを辞める時がこの趣味を辞める時だと思っていたのにこんなに早く違う結果になってしまった。
今まであの人の仕事がない期間にちょっかいを出してきた役者やアイドルは数名いたけれど、仕事が被った時点ではいさよならだったのでわたしのオタ歴史では史上初の推し変である。4年間を振り返ってみてもあの人に対する不満は一つもないし本当に本当に神様のような人だった。何か本人に問題があって降りたわけではないので時折ブログを読んでは後ろ髪を引かれる思いになる。未練が中々断ち切れないのでTwitterのフォローも外してしまった。

yamjr.hatenadiary.jp

またジャニーズファンの方の引用になるが、このエントリーで初めてフォト一揆という言葉を知った。数年前にテニスの公演でいせだいきの写真を大量に買ったオタがいたみたいな話があったような覚えがあるが、さすがはジャニーズといったところで格が違うなと感じる。話は変わり、わたしが言及したいのはフォト一揆に関してではなく

別にいいよ、かけもちしたって。二人に同じだけお金と力を注げるのであれば。100ある力を50:50にするんじゃなくて、どっちも100ずつかけられるんならば
この部分である。単推しから掛け持ちへ贈る言葉だ。すごく良くわかる。きっとこの言葉を放った人は、"アイドルに全てをかけているような人"なのではないかと勝手に想像をしてしまった。
わたしが降りた原因も2人に100%の力は掛けられないからで、仮にお金がどうにかなったとしても別の舞台が被れば両方を全通することは不可能になってしまうからだ。
わたしは推しに対して自分がどれだけ頑張れているかで存在意義を見出したり自己肯定をしているので、楽しいという気持ち一つだけではおたくを続けることが出来ない。苦しい気持ちになることも少なくない。

学生時代にもっと複数の趣味を並行して楽しんでおけば良かったのかなと時々考える。今更過去を振り返っても仕方がないので、とにかく今から悔いのない人生を歩むしかない。
新しく応援することになった彼はこれからどんな世界を見せてくれるのだろうかと思うとやはりおたくを辞める決心はつかない。これから、他の趣味や彼氏を持ちながらのおたく生活のやり方を少しづつ模索していきたいと思っている今現在である。
とりあえず再来月あたりに街コン又は相席屋に足を運びたいと思っている。

オタクじゃない私が分かんない

毎週末どこかのイベントやライブや舞台へ足を運んでいた頃から時を経て単推し状態の今現在、時間が有り余り過ぎておりあまりのする事のなさに我ながら呆れている。

推しの仕事が無いから暇という訳でもなくむしろ仕事はある方で、月に舞台1本とまでは行かなくとも規模は小さいけれど3ヶ月に2本くらいのペースでの活動はしていると思う。
公演が終わった翌日から次の現場の稽古へ向かっている事もよくある様で、それはファンとしては大変嬉しく有難く思っている。

けど。
 
けれどそのわりかし忙しめの役者のファンであるこの私は大変に暇なのである。原因なんて考えるまでもなくただのオタクである私は当然稽古に参加するわけもなく、推しを観に行く事が出来るのは公演期間の大体5日間くらい、少なくて3日間程度なのだ。
月に5日間。しかも連続して5日間だ。それ以外の約25日間、高校1年生から平行して複数の現場のオタクをしてきた私にはあまりにも長すぎる時間だった。
常々オタクではない人達は普段何をして生きているのかという疑問を持ち続けてきたけれど、今度は単推しの人達は推しの仕事がない期間何をして過ごしているんだろうという疑問が生まれた。
 
『俳優オタク』という括りから外れたとき、己の無趣味さに驚くと同時にオタク以外の友人が殆どいないことに気付いた。
アイドル現場にいた頃、毎週末どころか平日にも頻繁にイベントがあり、少し周りを見渡せば誰かしら知り合いがいた。約束などしなくともイベントへ足を運べば自動的に沢山の知り合いと顔を合わせていた。
けれど俳優個人の現場となると話は別だ。セット売りでもされていない限り現場で顔を合わせる知った顔のオタクの皆さんは全員推しかぶりなのである。前のエントリにも書いたが私の推しはファンが少ない。
幸い仲良くしてくれる推しかぶりの友人が数人おり有難い限りだが、その友人達とも舞台イベント等を抜きに個人的に遊ぶことは稀だった。その上その友人達ともなかなか予定があわず最近では一人で観劇する事も増えてきている。
 
話は戻り、オタク的な活動のない25日間をどう過ごすかと考えた時、正直何も思い浮かばなかった。私は現在OLとして仕事をしており、残業も全く無い為土日どころか平日の夕方以降も暇で特にする事もなく非常に時間を無駄にしている様に感じる。
 
元来友人は少ない方で、というか幼稚園からの幼馴染み4人を抜くと友達と呼べる人は1人。オタクで仲良くしてくれていると感じる人達は6人くらい。6人と言っても現場を抜きにして遊ぶのは2人くらい。我ながらやばい。非常にまずい。
 
当然だが友人皆それぞれ大学や専門学校、仕事など別々のことをしており住んでいるところもバラバラで予定が合うかと言えば中々合わず年に1度か2度集まれれば良い方だ。
高校時代、入学してから友達を作ろうという考えの遥か手前に「テニミュの為にバイトする!!!!!!!」という決意があった。
友人作りを疎かにしていた上、休み時間くらいしか話す時間のない高校での友達作りよりも特典会で推しと何を話すか・手紙に何を書くかなど"推し対自分"の事しか頭に無かったツケが今になって回ってきていると感じる。
 
恋愛に関してもそれは同じで、一度私を好きになってくれる奇特な人が現れお付き合いしたことがあったが、テニミュが大事すぎて3ヶ月程でお別れさせていただいた。その後、彼の新しい彼女がまた俳優オタクだった為単にこの人は女運があまり無い人だったのだなと思ったがそれは誰にも言わなかった。
 
そして社会人になれば環境が変わり恋愛出来るかもしれないと思っていたが、私のいる事務のフロアと営業などの男性のいるフロアが全く別でほぼ顔を合わせることは無い。
社内恋愛も難しいとなると合コンをセッティングしそうな友人が思い当たらないので街コンにでも行こうかと思ったが現在未成年なのでそれも叶わず、恋愛方面にも逃げられないとなるともうなす術無しというかそもそも過去4年ほどの一番多感な時期に越えるべきことが悉く出来ていないので街コンに行ったとして初対面の男性と話を弾ませる自信がなさ過ぎる。
近頃男性と話した記憶が男オタを抜くと父親と社内の内線くらいしか思い当たらない。
 
書けば書くほど焦りしか生まれない。何から始めればいいのか全く分からないけど取り敢えずはてブロで自分語りをしてる場合じゃないって事だけは分かる。
暇すぎて寂しくて中高時代の人達のSNSを探す禁じ手をして無駄に無駄に無駄に凹んだりしている。
 
19歳社会人。成人まであと4ヶ月。
来年の成人式で同級生に会うのが怖い。
 

ガチ恋だった私の今と昔

 

TwitterでRTされまくっているこの記事。これを読んで一体どれだけの人たちが共感したのだろう。ジャニーズその他アイドル若手俳優バンドお笑いK-POP声優プロレスなどなど、生身の人間を追っている人だったら大抵の人は思うところがありそうな記事で、例外なく自分もそうだった。

わたしのおたく歴史は大きく3つに分けられる。ミュージカルやらストレートプレイやら、テニミュキャストの出ている舞台を誰彼構わず手当たり次第に観ていた時期。非アイドルの内の一つのグループを追っていた時期。そして1人の俳優のみを追っている今。この3つに分けた中で、あのエントリに共感出来たのは非アイドルを追っていた頃のわたしだった。

「リア恋」という言葉がある。リアルに恋してる、の略で恐らく「ガチ恋」等の単語と同義。アイドルを本気で好きになってしまう現象、その状態、そうなっている人のことを指す

まさにこれだった。非アイドルの現場では、リア恋をさらに短くした「りあこ」という言葉があった。当時は自虐で「◯◯くんのりあこ♡」とTwitterのbioに書いたりしていたけど、今思うと自虐風に見せかけて結構マジだった。

彼を知った入口はテレビドラマで、顔が好きという理由一つで現場へ足を運び、顔面を拝めるだけで、ステージにいて歌を歌っているだけで、とてつもない幸福感とパワーが貰えた。だけど例のごとくいつの間にかレスを貰えないといい対応を貰えないと目を見て貰えないと、泣いて家に帰るようになっていた。

わたしの応援していた人は対応がものすごくヘタクソだった。塩対応って言葉があるけど、多分おたくがキモいからとかこんなことをやりたくないからとか、そういうのじゃなかったと思う。ファンに何を言えば喜ぶかとかレスの仕方とか、ピックの投げ方とかそういうのが全然分かってなかった。例えば2ショでハート作る時に女の子の背に合わせて屈もうとか、顔を褒められてもテンプレが言えずにどうせ顔だけ…ってネガティブにしか返せないところとか、営業が全くできないというかそもそも営業を知らないその辺の男子高生だった。そこが好きだった。

わたしが言ったこと、冗談、全てがマジレスで返ってきた。わたしは人と話すのがあまり得意でないし、それは芸能人相手であっても変わらない。マジレスの人と話すのは凹むことも多いし仕込んだネタもほとんどが不発に終わった。だけど回数をこなせば変わってくるもので、やがてライブでレスをする様になった。初めてレスを貰ったのもピックを貰ったのもこの人が初めてだった。

レスをするようになるということは当然レスが欲しくなるわけで、最前の0番がほしいわけで、夕方18:00くらいからのイベントに始発で行くとかそういうことをした。全然人気のない人たちだったからこんなことをしなくても大抵余裕で最前は取れた。

人気のない人を推していると、少ない少ないおたく同士で協力しあうのだろうと思うかもしれないが、そういう美しいことは生まれなかったしやっぱり推しかぶりは敵だし0番も争う。人気のある人のおたく達よりその争いは醜いんじゃないかなと個人的には思っている。

だって例えば今大大大人気の鈴木拡樹さん主演で両脇が植田くんと鳥越くんの舞台があったとして、その最前0番に座るのはめちゃくちゃ難しいかもしれないけど、推しかぶりが3人4人とかだったら頑張れば99.99999%くらいの確率で0番に立てる。だからみんな争う。でもわたしが追ってた頃、頑張るのは極々少数だった。たまにガッツが新登場してもすぐに消えていった。もちろん他のメンバーのファンで頑張ってる人はいたけど推しかぶりではほとんどいなかった。そのくせグループでは彼が一番人気があった。

人気があるということは客席にわたしと同じ色のペンライトがたくさんあるわけだ。グループ自体の人気がないせいでライブ開始1時間前くらいに来たくせして2列目3列目の前方にいる推しかぶりに、始発で並んで0番を取ったわたしよりもレスが行くのは我慢がならなかった。負けたくなくて自分が一番である確信が欲しくてCDも高校2年生にしては、というかあの現場にしてはまあまあ買った方だと思う。セールで3000円くらいになった洋服を迷って迷って結局買わなくっても、特典会で1度にCD30枚買うとかプレゼントを買うとか聖誕企画をやるとか、そういうことは平気で出来た。CDの枚数や貢ぎがわたしはここにいてもいい人間だという自信をくれた(今思うと全くもって大した金額じゃない)。グループの人気があまりにもなさ過ぎて一度のライブで毎回10枚以上買えば積んでる部類に入るレベルだった。

だけど一度レス厨になってしまったら干されるようになったが最後、降りるか、これからも推し続ける覚悟を決めるかの2つの選択肢しかなかった。推し続ける覚悟を決められないまま、降りる覚悟も出来ないまま、沢山のお金と時間を使ってきたという意地だけでズルズルとライブに足を運ぶ日々だった。

だけど今、あの現場へ足を運ぶことがなくなってから丸2年が経った。行かなくなった原因は些細なことだった。最前に入れなくなったから。それまで最前で見なかったことはなかったし皆勤し続けてきたけれど、行けないライブ、最前に入れなかったライブ、そういうのが続くと「今回もバイト被ってるしいっか」となってしまい、そうなれば今まで必死で代わりにシフトに入ってもらう子を探したり朝早く起きて支度してライブへ行ったりするのが途端に馬鹿らしくなった。

こうしてわたしが高校生活を投げ捨て必死になって追いかけ、干されれば帰り道に大泣きをして病み、「あの頃はよかった」「あの時の◯◯くんかわいかった♡」とわざとTwitterで懐古と推されアピをこれ見よがしに垂れ流し続けた日々は呆気なく終わりを迎えた。もし私が他のグループのおたくだったのなら別の応援の形があったかもしれないし、強火には勝てないと早々見切りをつけて他の現場に行っていたかもしれない。たまたまあのグループのおたくになりたまたまガッツ(仮)になってしまった。現場を降りた後、わたしの手元に残ったのはたくさんのCDだけだった。楽しかった思い出も辛かった思い出も、今はあまり覚えていない。

人気がなかったために幸か不幸か、非ドルの匿名掲示板ではそのグループのスレは全く動いていなかった。今になってあの時の推しが営業をするようになったと聞いても特にピンとこないし2年しか経っていないのに未練も綺麗さっぱり無くなった。推していたのは夢だったのかなあと思う程に他人事になっている。

物理的な距離の近い世界を離れて俳優を追っている今、あの頃は良かったと思うこともしばしばあるが現場に戻りたいという気は少しも起きない。今現在、現場において辛いことが全くと言っていいほどなく、クリーンなおたく生活を営んでいる為である。

りあこ気質のわたしが平和な生活を出来ているのはわたしが他のおたくを潰したからだとかそういったことではなく、他に"独占欲が強く舞台はほぼ全通、貢ぎは毎回、巨大なスタンド花を出す、公開垢で空リプ牽制"などのような推しかぶりがいない為であり、そもそもガッツがどこにも見当たらない為である。自分で言うのは少し憚られるが恐らくわたしはその中では最も通っている部類だと思っている。だからといって特別推されているということでもなく、営業をされるわけでもなく、いちファンと役者といった感じの関係で所謂オキニとは程遠いように思う。

特別推されていなくても一番ではなくても、「ありがとう」というたった一言を言ってもらえるだけで良いと思えるし1公演だけ観に来た人でも通っている人でも同じようにしている所が素晴らしいと今は思う。

正直非ドルの時は繋がりたいと思っていたし付き合えるのなら付き合いたかったし痛い痛い女オタだったけれど、たった2年の間にも色々あり、 繋がりってそんなに良いものじゃないし繋がった所でその先は真っ暗だということに何となく気付いてしまった。繋がったわけじゃないのに。

そもそも自分が大好きで大好きでたまらない人と繋がれたとして、それはすごく嬉しいことかもしれないけれど「この人は結局オタクと繋がるような人間だったのか」っていうガッカリは絶対してしまう。手が届きそうで届かない綺麗なものを追いかけて行きたいし、エゴサしまくる癖に学校バレとか本人垢バレとか、自分で探してるのに実際見つかったらめちゃくちゃガッカリするしそれで降りたこともあった。

相手も生身の人間なんだと最近になってやっと分かってきた。わたしに良対応をする為のロボットじゃないし、体調が良くない日だとか何となく機嫌が悪い日とか、そういうのを全部対応も仕事の内なんだからちゃんとしろで片すのはあまりにも乱暴だと思えるようになった。

文字にしてみると推されないせいで求めるハードルをどんどん下げているように見えるけれど、掘って掘って自ら粗探しをしてやっぱりかよって捨て台詞を吐いて降りるのはあまりに愚かで無駄な行為のように感じたからだ。長く長く応援したいと思える人なので、その人がファンに向けて向こうの世界から発信している事だけを受け取って幸せを感じていよう。そう思った。おたく辞めたいが口癖なのに長く応援したいとか、対応厨なのに平等が素晴らしいとか、矛盾ばかりだけど今現在これといって悩みがないので現状がベストなのだと思う。

悩みを強いて挙げるならば、わたしのようなおたくが1人付いているよりも、その人のお芝居が好きで毎回1公演だけだけれどどうしても来たくて。という人が大勢いた方が役者冥利につきるのだろうなという事だ。そうなってくるとわたしの存在意義など無くなってくるし結局わたしはよく思われたいという理由だけで通っているのではという不安にさらされ以下ループである。

特別な対応じゃなくっていい、一番じゃなくてもお気に入りじゃなくてもいい、ただ、ありがとうとか嬉しいとか、わたしが貴方の役に立っててほんのほんのほんの少しだけでも力の源になれているっていう確信が欲しい。それだけ。

 

おしまい。

クワガタとの歩み

アイドル・芸能人のブロググループに登録しておきながら今回のエントリでは今週のお題に乗っかって「飼ってる、飼ってた、飼ってみたい!」について書く。

自分で欲しくて買ってもらったのは小さい時に飼ってたハムスターと縁日の金魚くらいなんだけど、父の趣味でかれこれ15年ほど家にクワガタがいる。それも沢山。


我が家の家族構成は父母姉わたしの4人で、父以外は全員女。だから誰一人としてクワガタ育成に興味がないし、父も黙々と買ったり育てたりしてるだけで家族で話しているときに話題に上ることはほぼない。だから"飼ってる"というよりは"家にあるもの"という認識の方が正しいのかもしれない。

15年も家にあり続けるクワガタに関する知識がほぼ無いし興味もないからもし父が突然事故や病気で入院したり亡くなったりしたとしたら誰もクワガタの面倒をみてやれないのだ。

15年間でクワガタの生態に関する知識が養われることはなかったけど、クワガタ育成を趣味にしている人用の雑誌があったりお店があったり、そのカルチャー自体はわりと面白そうで結構興味深いのでどこにも需要がないであろう記事を書く。


父がよくクワガタ関係のものを買いに行くお店には、クワガタ以外にもカエルや外国のGとかバッタとか色々いて、結構面白いんだけどわたしは虫全般が苦手だからお店に付いていくことがあっても爬虫類コーナーしか見なかったし、最近はその店たちも閉店することが多いみたいで今では1店舗しか知らない。わたしは。

店がなくなる前はクワガタを育てて成虫をその店に置いてもらって売るっていうちょっとしたお小遣い稼ぎになってたみたいだけど、最近はそれもないから完全に趣味になってるらしい。関係ないけどたまに菌糸ビンから巨大なキノコが生えるからそれを家族でゲラゲラ笑いながら観察することはある。


で、面白いのが中野にむし社っていう会社があって、そこでは毎年正月にクワガタの入った福袋が売ってるの。父上は毎年それを買いに行ってて、過保護だから母も父にくっ付いて行ってて、今年わたしも中野行きたいって理由だけでくっ付いて行ったんだけど結構面白かった。

店舗自体はそんなに広くないんだけど所狭しとクワガタの入ったカゴとかゼリーが並んでいて、わりとお客さんも沢山いて。店員さんに若い女の人がいたのが印象的だった。カブトムシゆかりさんみたいに虫好きな女の人も結構いるものなのかななどと思ったりして。

出口には蛾の図鑑になってるカレンダーポスターがご自由にお取りくださいって置いてあった。どう考えてもいらないのにお母さんはせっかくだからとか言って2つくらい持って帰ってた。未だに家のどこにも貼ってない。

そんなわけで特に家族に迷惑をかけることもなく自分の趣味の範囲内でクワガタを育ててて、母もたまに協力っていう形で受け入れてるんだけど一度だけ事件があった。

それはわたしが小学3年生の時の話。

朝、支度を終えてランドセルを背負って靴を履こうとしたとき、何かがつかえていて靴に足が入らなかった。ガンガンやっても入らない。覗いて見ても暗くて何も見えなくて、手を突っ込んでみると、何だか手触りの良いツルツルした硬いものがすっぽり隙間なく入っていて全く取れなかった。わたしは靴をそれしか持っていなかったからそれを履かないと学校に行けないし、友達が家の前で待ってる。焦ったわたしはブンブン振ったり床に叩きつけたり引っ掻いたりして必死に掻き出そうとした。3分くらい格闘を続けたらポロっと黒い何かが出てきた。

察しはつくと思うけど、脱走したクワガタだった。メスの。わたしは靴をぶん投げて泣いた。メスのクワガタってツノは無いし、とりたてて特徴が無い。わたしはGかと思ったし靴から出てくるはずの無い物体が出てきてトラウマになった。散々突いたり掻き出そうともしていたわけだし。だけど靴にクワガタが入っていてショックだから学校休みますは当然母には通用しなくて、仕方なくその靴を履いて登校する羽目になった。

下校して父の帰りを待ち説教をして、それからクワガタを入れるケースの蓋が硬いものになった。靴の中に入っていたメスクワガタはピンピンしていたらしい。


15年近く共同生活をしてるけどクワガタの思い出って言ったらこのくらい。毎年夏に哀川翔が虫採りのロケをするバラエティーは家族で見てる。結構おもしろい。

それぐらい。わたしは猫を飼いたい。

オタク辞めたい病

おたく辞めたさのみ。

18歳のときに「あと4年したらオタクをやめてまともな人生を送ろう」と決意してから1年が経った。そして現在絶賛オタク辞めたい。
なんであと4年かって言えば、22歳=大卒の人の年齢なわけで、22歳になったらスッパリ辞めて恋愛して早いとこ結婚して子供を産もうとテキトーに考えていたからで。

…なんか、無理じゃない?あと3年オタク続けたとしてわたしは今の俳優を6.7年くらい追い続けることになるわけで、22歳になったらはい辞めますとか無理感しかない。明日やろうは馬鹿やろうって言うし。今30秒に1回はオタク辞めたいって思ってて、ずっとずっと前から思ってて、でも実際辞められてないわけで。推しから干されたまま推しかぶりからも嫌われたまま悪口を言われ続けオタクも辞められず恋人もおらずズルズルズルズル年を重ねていく未来が想像出来すぎてしまう。辞めたところでわたしを貰ってくれる人も現れそうにないし。

ただただ、怖い。高校ではバイトしかしてこなかったし友達も1人もいなかった。辞めるなら20歳になる前の今だなって思う。けど、だけどたまにブログが更新されると、あ〜この人の3年後楽しみだな〜〜〜〜と思うよ。辞められないし辞めたくないけどオタク辞めたい。


おまいつと在宅

今週のお題「これって私だけ?」

 

アイドル現場においてブログやTwitterで「○○とはなんだったのか」みたいな記事を書いている人は大抵が在宅で、現場に何の利益ももたらさず液晶画面の前でのみご高説を振りまき在宅同士でのみ分かち合い楽しんでいる寒い人たちだと思っていた。

ここで言うブロガーは武道館、ドームツアーをやっているレベルのアイドルではなく所謂地下アイドルやフリーライブで特典会をやっているアイドルグループの在宅ブロガーを指す。

現場を成り立たせているのはガチ恋だし煩くて厄介で大なり小なりルール違反もするけど、ちゃんとCDを買って特典会で騒いでいる人たちだと思っていたし今も思っている。違反はよくないけど、そうなってしまっているのが大多数だと思う。

だけど非ドル現場を降りた今、わたしは現場にも行かず自宅で公式Twiterやブログを見て好き勝手言ってるだけの全くお金を落とさない嫌いだったはずのただの在宅オタになってしまった。


ミリオンドール というWEB漫画がある。

 ひきこもりのアイドルオタク「すう子」は、1つだけ特技を持っている。 それは、ブログの力で女性アイドルの人気に火を付けること。 すう子は福岡県糸島市の地方アイドル「イトリオ」に目を付けて売り出そうとするが、 アイドル現場のカリスマ「リュウサン」と地下アイドル「マリ子」の存在が立ちはだかる! 業界で話題の「ミリオンドール」は、アイドルオタクである筆者藍が描く、リアルすぎるアイドル群像マンガ。 

在宅ブロガーのすう子と現場TOのリュウサン、アイドルグループのイトリオ、ソロのマリ子の視点から観たアイドル現場を取り巻くお話。

 

まず、わたしはすう子もリュウサンも実際に通う現場が被っていたのならものすごく苦手だし絶対無理だと思った。

すう子がブログでいくらもてはやされていたとしても直接現場にも通っていないしほとんどお金を落としてもいない。

楽しむためにやっているのであってアイドルの役に立つために推しているわけじゃないっていう言い分なら理解出来る。

だけどイトリオの役に立つためにブロガーとしてネットを盛り上げてオタクをする方法をすう子は自ら選択している。

全く分からない。在宅が悪いと言いたいわけじゃない。現場に来ないのに現場のことに首を突っ込み何とかしてやろうという精神に無性に腹が立つ。

 

リュウサンはリュウサンで、わりと現場でよく見るタイプの若い男オタって感じだ。おたくにおけるカリスマという概念が良く分からないけど、CDを積んだりオリジナルを現場に持ち込んだり、こういう人がいると活気があっていいなあと思う。

あくまで自分がリュウサンを好きな場合に限るのが難点だけど。嫌いだった場合にはただ声がデカくて信者の多い面倒くさい厄介オタでしかないのが難点。

わたしは追いかける対象が男だった事しかないからわかんないけど、地下ドルのオタに嫉妬心ってないもの何だろうか。

リュウサンをいつもいつも立てて、久しぶりに現場に来た時でさえ現場の状況を事細かに話す古参のおじさんたちが健気でわりと泣いた。わたしはリュウサンが推し被りだったらとりあえず毎日病んでるだろうな。

 

CDを積むオタクがアイドルの役に立つと言っても結局一人じゃ微々たるものだし、少数精鋭でCDを積んでもアイドルが売れないのは分かってる。

SNSなんかで布教したりするオタクもいた方がいいと思ってる。だけどSNSで好き好き大好きっていうわりに現場に来ないオタクが100人いるよりライブを見に来るオタクが50人いた方がいいんじゃないかなと思うのはこの先絶対変わらない。

 

ものすごく極端な例を出したけど、わたしにとってお金を払うことは自分が楽しむためのもので、推しに愛を示す材料で、対応をもらう対価で、次のシングルを出してもらうための投資だ。

 在宅の有名オタより金額に差はあれど通い続けお金を落とし続けてきた古参達の方がよっぽど現場を支えていると思う。

 

これってわたしだけですか?

 

追記

 

作者の方の目に入ったみたいでTwitterとかは鍵垢の住人だからなんか新鮮だった。