月刊「根本宗子」第17号「今、出来る、精一杯。」

根本さんと清竜人が音楽劇を作ると聞いた時、真っ先に思い浮かんだのは「超、今、出来る、精一杯。」の方だった。これは一夫多妻制殺人鬼アイドルの話且つ、劇中で清竜人25の曲が使われまくっているので。解禁情報をよくよく読むとタイトルに超はついていなかったので、あぁあのしんどい方のやつか、、、と思った。

清竜人という人の存在を知ったのは「超、今、出来る、精一杯。」を観たときで、それからは曲を少し聴きつつ1年か2年くらい前に青年館でライブを観に行ったくらい。そんなに大ファンということではなかった。ただ100億円あったら清竜人×多部未華子の雨をなんとかして生で聴いてやろうと密かに思っている。伊藤万理華ちゃんのことは個人PVがめちゃくちゃ良い子ということだけ知っていて、乃木坂の時にどんな子だったかは全く知らない。どんな子か一切知らないけど個人PVがほんとうにほんとうに好きだった。

そんな感じで、全然知らないというわけじゃないけど詳しくはない、ただどちらもそれなりに好感を抱いている2人なのでねもしゅーと組むのはとても喜ばしいことだった。

 

今回の「今、出来る、精一杯。」は2015年に上演した再演を観ているので話は知っていて、それが音楽劇になるということについてはいまいちピンときていなかった。決してご機嫌な話ではないのであの暗い話の中に歌をいれるの…?と思った。アッパー系の使われ方をする部分が多少はあるかと思っていたけど結果として、竜人くんは終始ドドドドドダウナーであった。劇中音楽にボーカルのある曲は3つだけなので、基本は綺麗な劇中音楽と汚い人間の混沌という様子だった。人間は醜いなと思わせられる一方で人間賛歌的な面があるのがねもしゅーの魅力だと思うのでとても合っていた。

 

前にも書いたけどここのところの有名人の出るねもしゅーがあまり得意でなく、とくに「新世界ロマンスオーケストラ」は全然面白いと思えなかったし「女中クラッシャー」も「愛犬ポリーの死、そして家族の話」もそれなりに面白くはありヒットは出すもののわたしの中でのホームランには遠かった。それで今回の清竜人伊藤万理華ちゃんとのタッグが発表されて、観たことある演目といえど音楽劇に変わって有名な人が出たらなにかが変わってしまうのではという危惧があった。結果としては大変に大変に素晴らしかったのでよかったです。竜人くんでなきゃいけなかった理由も観たらわかる。

前回の「墓場、女子高生」のときもそうだったけど今回カーテンコールがないので、劇中に受けたダメージが終演後に一旦一区切りとならず、わたしが観たのは何日か前なのに未だに心が軋んでいる。わたしは今24歳なんですが、前回見たときは20歳だったので20歳の自分はこれを観て何を思ったかなあと思いTwitterのログを調べたところ、超良かったとしか書いていなかった。文章での記録はないものの、初めてこの演目を観てから今までずっと引っかかっている台詞が2つある。

 

わたしは学生生活をする中で地味で友達もロクにいない、休み時間に人に話しかけにいかないような生徒だった。極力人と会話をしたくないと思っても、真面目に学生生活を行うためにはひとりでは限界があり(例えばこれの提出期限いつまでだっけ?みたいなことです)、そういう時に近くの席にいるわたしと同じように地味な感じの女子や男子に聞く。そういう人たちはわたしよりは先生の話を真面目に聞いているので、なにか分からないことがあると大体同じ人に、主に男子に聞きに行っていた。

何故男子かというと地味な男子は優しいからなんだけど、たまに、そういうことを繰り返していると あ、この人わたしのこと好きかもな、みたいなことがあって自意識過剰ならそれまでだけど何となくそんな気がして面倒なので距離を置くということを何度かした覚えがある。

 

今回の「今、出来る、精一杯。」という演目には"僕なら何でも許してくれると思った?"という台詞があり状況としては概ねわたしの学生時代と同じ。劇中ではスーパーでバイトをしている遠山という女が彼氏のことで相談と言ってバイト仲間の吃音のある地味な男の子(金子)に恋愛相談を持ちかけ、金子が遠山に好意を持っていることを勘付きながらも気づかないフリをして絡み続け、ある日吃音になった理由含めて金子が爆発する。みたいなシーンがあった。いや本当はもっと複雑ではあるけど、爆発した金子が遠山に向かって言うこの台詞がこの4年間ずっと胸につかえている。

この演目に共通するメッセージでもある、「人の人生を背負う気がないんだったら最初から踏み込んで来ないで」というところに終結すると思っていて。わたしが出したエピソードとはちょっと離れた壮大さにはなるけど、でもわたしが地味な男子に聞きに行くというのは、女子と話せてよかったじゃん陰キャ。みたいな文脈があり、会話を繰り返せば好意を持たれるかも、みたいな想像は易かったので(好かれる)リスクを自覚しながら利便性を求めて続けた代償は何度かあった。好意を受け止める気がないんだったら何度も同じ人のところにいかなければいいだけなのに、モテない女として興味ない男子にでも好意を持たれる(感じがする)のは気持ちいいんだよね。劇中では遠山の思わせぶりな行為が惨事を生むので、学生時代の記憶を思い起こさせて本当に反省させられた。

 

あと1つは、遠山(28)が恋愛相談をバイト仲間の20歳の子にばかりするので「遠山さんって子供っぽいから同世代の友達いないんだよ」って言われているところがわたしの姉を彷彿とさせて再演を観て以来ずっと実姉(27)を心配している。実姉にはなにせ友達がおらず、ドラッグストアの社員なので勤務先の人員がほぼ学生バイトな為よくバイトの子たちとばかり飲みに行っている。

 

根本さんのパブリックイメージって多分しょこたんのHeavy Girlみたいな、重い女だとかクソ男が揉める演劇の人という感じだと思う(多分)。実際にそういう側面もあるんだけど、社会からはみ出ちゃった人が分かり合える人を見つけようとして苦しんで、例えそれが破滅の道だとしてもようやく信じようと決めた相手と生きていく。というものが多いと思う。恋愛の要素ももちろんあるけど、結果的にそれが共依存であることがかなり多くて、なんでそうなっちゃうんだろう、もっと他に道はあったんじゃないか?と思いながら誰からも手を差し伸べてもらえないはみ出し者がなんとか光を見出して生きていく姿に胸をうたれるので男女のドロドロでしょ?と思って敬遠している人は無理してほしくないけど一回くらい来てみてもいいと思う、、

 

今回竜人くんがやっている"安藤"という男は再演のときは宮下雄也くんがやっていて、当時は安藤は本当にダメな男だな…と思ったのに今回演じる竜人くんにはなんだかセンスのある繊細な男みたいな雰囲気があるので(ピアノを弾いたり歌ったりするから)、再演のときと違って安藤はクソだ!!と切り捨てることができず余計に辛かった。宮下安藤と清安藤の境遇や状況は同じはずだから、見た目や雰囲気で弱者と切り捨てるかそうでないか決めている自分に気がついてしまってしんどい。

ところでオリコンニュースがこのような取り上げ方をしており、まりっか可愛いから行こう!となった人がショック死していないか心配になりました。この演劇をこの切り取り方するのすごいよ。YouTubeで改めて聴くと驚くほど下手だけど実際のところはかわいくて別に下手だなとは思わなかったので不思議だね。

 

 月刊「根本宗子」10周年の中で私は2015年5月から大体観ているので好きな順番に並べ替えてみた。まずもって本数がやばいな、、、

1. 第14号「スーパーストライク」

2. 『皆、シンデレラがやりたい』

3. 第17号「今、出来る、精一杯。」

4. 第7号 「墓場、女子高生」

5. 第13号「夢と希望の先」

6. 第12号「忍者、女子高生(仮)」

7. 第15号「紛れもなく、私が真ん中の日」

8. 再演「今、出来る、精一杯。」

9. 第5号「バー公演じゃないです。」

 第6号 再演「バー公演じゃないです。」

11. 第10号「もっと超越した所へ。」

12. 第11号「超、今、出来る、精一杯。」

13. 第16号「愛犬ポリーの死、そして家族の話」

14. ねもしゅーのおとぎ話『ファンファーレサーカス』

15. 『クラッシャー女中』

16. 『プレイハウス』

17. 『新世界ロマンスオーケストラ』

 

番外編

第一実験室「コンビニ」

 

11年目以降も楽しくなるといいな。

 

おしまい