ジェラピケはいいぞ

クリスマスにパジャマをもらった。

分厚いあったかいパジャマが欲しかったから頼んだけど、パジャマのプレゼントと言ったらやはり最大手なのか、ジェラピケだった。

ジェラピケといえばプレしたいものがないときにとりあえず上下で買っておけば安く済むでおなじみのありがたいお店である。しかしめちゃくちゃ他俳優と被る。わたしも2.3回くらい利用させていただいた。

そんなジェラピケだけど自分用に買うには薄給のOLにはとても高く、今回もらって初めて袖を通した。

 めっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃふわふわなにこれ

 すごいジェラピケはすごいぞ。開演30分くらい前に店行って適当に選んでダッシュで会場に駆け込んでプレボに預けていた当時は気付くことのできなかったジェラピケの素晴らしさがそこにはあった。

着るだけでおんなのこ力がぐんぐん上がっている気がする。そして、こんなふわふわを身につけていた推しを思い浮かべるとかわいみで死にそうだ。初めて着たときわたしと同じように思っただろうか。かわいくて死ぬ。

 

 俳優へのプレゼントなんてある程度あげたいものを消化していくと候補がどんどん無くなって、ちっとも楽しくなくなってくる。選ぶ楽しさがないから消化試合みたいに適当に選んでプレボに入れて、着てる画像があがっても着てんなあって思うだけになっていた。

数年を経て今、あの頃ジェラピケを着ていた推しを思い浮かべてめちゃくちゃ幸せな気持ちになれているからわたしの消化試合も無駄じゃないような気がしてきた。体験してみないとわからないことってあるもんだね。

へたにいらないアクセサリーとかもらわんで注文つけといてよかったサンキュー彼氏。そしてあの頃のわたしよありがとう。

 

おしまい。

雨宮まみさんについて

別に著書を全て買ったりしてたわけでもサイン会やイベントに欠かさず行ったりしてたわけでもない。大ファンとはとても言えないし、ただ連載コラムやブログが好きでたまに本を読んだりしていただけだ。

それでも訃報が飛び込んできた時しばらく思考が停止した。訃報を伝えるwebニュースを見たのは会社のお昼休みだった。午後も仕事があるので、一旦この件は置いておくことにして夜いつも通り教習所へ行った後にもう一度詳しくニュースを読んだ。

そこには自宅で心肺停止の状態で見つかったとしか書かれていなくて、亡くなったということ以外ほとんど何もわからなかった。死因なんて知ったってしょうがなくてそんなのはどうでも良いんだけど、雨宮まみさんの生み出す文章がもう読めないんだって実感が数日経ってじわじわ湧いてきている。

 

わたしは何かを熱心に追いかけるおたくであることを拗らせてはいたけど、"女子をこじらせて"に書かれているように女性であることをこじらせていたわけじゃない。あまり人と関わることもなく鈍感に生きているし、女に生まれたことを窮屈に感じたこともない。わたしみたいなすぐに失われる若さだけが取り柄の無能は女に生まれて良かったとすら思っている。総合職なんかには就かず片手間に事務をやりながら家庭に入っちゃえばいいんだから。こんな甘ったれたことを言ったら何もわかってないって思われるかもしれないけど、本当にそう思っている。

だけど雨宮まみさんの凛とした姿はわたしの理想の女性像だった。好きなものをあんな風に魅力的に書くことの出来るところに憧れていたし、沢山の悩みを受け止めてくれる、正しさだけが全てじゃないと思うんですという懐の深さがとても素敵だと思っていた。

直接話したことはもちろんない。でもこの先どうしたらいいのかとかふとした時の孤独感とか今のままでいいのかなとか、そういう言葉にし難い友人や家族に説明しづらい心のささくれみたいなものが雨宮さんの文章を読むと不思議と消えていた。目の前が晴れて、明日も頑張ろうと不思議と思える文章だった。

人生においてものすごく困ったこととか本気で死にたかったこと、消えてしまいたいと思ったこと、一度もない。そんな呑気に生きているわたしでも心を軽くしてもらったことが何度もあった。意識はしていなかったけど心のどこかで雨宮さんを頼っていたような気がする。

 

物心がついてから、お葬式というものに行ったことがない。喜ばしいことだけどそれと同時に、大切に思う人が亡くなったときの気持ちの落とし所をわからないでいる。雨宮さんの訃報を知った日、午後の仕事や教習所で嬉しいこと楽しいこと、大したことじゃなくてもそれなりに何度かあって、悲しいことがあっても嬉しいものは嬉しいし、楽しいことは楽しいんだなと思った。

でも夜布団に寝転がりながら沢山の人のツイートやブログを読んでいたらなんだかつられてだんだん悲しくなってきてしまって大した読者でもなかったはずなのにわんわん泣いてしまった。

今週末は仙台に旅行へ行った。すごく楽しくて紅葉も綺麗でご飯も美味しくて、とても良い日を過ごせたなと思っているけど、このブログを書いている今、また悲しくなってきている。

好きな人がいなくなるってどういうことなのか。もっと身近な近親者が亡くなったら数日間泣き通しの日々が続くのか、そんなことばかり考えている。ものすごく楽しいことがあった後、ふと雨宮まみさんを思い出して悲しくなる。でもその後嬉しいことがあったらわたしは笑顔になって、そんなことがいつまで続くんだろう。一週間もすれば頭に思い浮かべもしなくなるんだろうか。 

雨宮まみさんの著書で読んでいないものを購入した。これが全て読み終わるまでわたしのなかの雨宮まみは生きているし、読み終わったらまたいないことを実感してつらくなるんだと思う。 

あまりにも突然すぎて、今はそれくらいしか考えられそうもない。

 

おしまい。

今この瞬間もいつかは黒歴史

になるのかな。

 

中学生の頃のサイトとかブログをこの間ようやく削除した。厨二とかリアとか色々拗らせた香ばしさ漂う黒歴史ブログ。

アドレスも変わってるしパスワードもわかんなくてめちゃくちゃ大変だった。中学生ともなるとかなり前のことになるけど、なんで昔の自分が書いた文章を読むとあんなに恥ずかしくて死にたくなるんだろう。

中学生どころかついこの間書いた一つ前のエントリですら今改めて読み返せって言われると恥ずかしくて無理だ。面白くないし。

自分が書いた文章なんだから間違いなくそこには"わかる"しか詰まってないのに、いざ読んでみると長くてつまんなくて恥ずかしい。

このエントリも一週間も経てば恥ずかしい過去になるし、いつか自分で面白く読める文章を書ける日はくるのだろうか。

 

話は変わって、街コンへ足を運んでからそろそろ1年が経つ。

彼氏が欲しいというよりは、年末に久しぶりに会うおたく友達との話のネタになればいいなあくらいに考えていた。でも3000円も払って興味ない男と出会うからにはそれなりの収穫が欲しいとも思っていた。おたくを辞めるための取っ掛かりが欲しかったのもある。

参加前の心構えとして、まず自分を省みた。CDを沢山買ったり自分の服の何倍もする物をプレゼントするようなおたくであることを公表するのは良くないだろう思ったので買い物や散歩が趣味の一般人になることにした。

隠したいってよりは、今までのまわりの反応を考えてわたしの趣味は殆どの人に理解されないって分かってたから。

 

決意を固めたのも束の間、あまりにも話すことがなさすぎて驚いた。平日も休日も俳優のことばっかり考えていたわたしにそれ以外の引き出しなんてなかった。

だって華のJK時代はずっとバイトとおたくだけの生活だったし社会人になっても継続中だったし。

わたしってつまんない人間だったのかってそこで初めて気がついた。おたくの友達と現実について話したことなんかほとんどなかったし。

1グループ目の自己紹介はやり過ごしたもののシステム上30分はそのグループでキャッチボールをしなくてはならず、初っ端30分でわたしは自分のオタ歴を語ることとなった。その後の数グループでも。

楽しくてやってたことを自虐として話すのは憚られるけど、オタク話ってネタとしては最高だった。

超ウケるわけじゃないけど自分のことを話さなきゃいけないターンになったとき、会話のキャッチボールに困らない程度にはなる。沈黙恐怖症すぎて少し話しすぎた気もする。

 ちょうど自分の中で盛り下がってた趣味を黒歴史として話すと盛り上がるって悲しいような嬉しいような、でも結局そこで彼氏出来たし結果オーライかもしれない。

俳優の話は自分でまだ笑い飛ばせないから、カスタマイズ追ってたときの特典会の話とかをした。CD買って推しの肩を揉んだとか。

 

あれから1年非オタやったから、今なら街コン行っても自虐ネタ以外の引き出しがある。

面白い話ではないけど、沈黙は生まれないと思う。休みの日ポケモンやってるとか、教習所通ってるとか、面白かった映画とか。そんな話きっと誰も興味ないけど、その場しのぎの会話が出来るカードを持っているってことが重要なのだ。

 

おたく自虐ネタを披露する場がないのは少し、ほんの少し寂しいけど、楽しかった大事な思い出だから非オタネタの質を上げていきたいなと思う。

 

 面白い人間にはどうやったらなれるんだろうとか、人からみてこの人と友達になりたいって思ってもらうにはどうしたらいいんだろうとか、そんなことばっかり考えちゃうけど、そんな努力もしたくないから当面は今のままでいいかな。

 

おしまい

映画「何者」誰も知らない自分になれる場所

若手俳優わらわら映画を年に1.2本観るか観ないかの映画館にほぼ行かないわたしだけど、今年はそれなりに観てる。単に他にすることがない。

そんなわけでこの間、何者を観てきた。

  


『何者』予告編

 

eveprimrose.hatenablog.com

この方のブログが好きでいつも楽しみに読んでるんだけど、何者について書かれていて気になっていた。ちょうど彼氏が映画を観たいと言っていたのが重なったので朝から彼氏に原作借りて一冊読みきってからその日の午後に映画を観た。

就活×SNSの闇なんて楽しくなりようがないテーマだと思ったし、実際原作を読んだらいるいるめっちゃわかるつらいのオンパレードだった。

わたしは働いてはいるけど、高卒募集の一般職に就いてるから何者の大企業とか外資志望の就活生の気持ちは殆どわからない。高校新卒の就活はそもそも1社ごとにしか受けられないし、全体の6割くらいが1社目で受かるのだ。

それでも中学生の頃からSNSが心の拠り所だったわたしには共感出来る点があまりにも多かった。

 

◾︎タクト(佐藤健)

サークルで烏丸ギンジとW看板としてやっていたが決別し、演劇から離れる。観察能力が鋭く(?)人のTwitterをよく見ている。普段よく話す方ではないが、匿名のTwitterアカウントでは本心をツイートしている。就活留年をしている。

 ◾︎コータロー(菅田将暉)

サークルでバンドをしており人気だったが単位が取れず留年している。タクトとルームシェアをしている。明るくコミュ力が高い。いい奴。

 ◾︎瑞月(有村架純)

留学していたため大学5年生。タクトの片思い相手でありコータローの元カノ。聞き役であることが多い。母が精神的に弱く、途中で志望を変えてエリア職に就く。

 ◾︎リカ(二階堂ふみ)

留学していたため大学5年生。ボランティアなど様々な経験をしており、就活に役立てようとしている。学生時代の肩書きを羅列した名刺を作るなど、所謂意識高い系。タクト・コータローの家の上の階に住んでおり、リカの家が上記4人の就活対策本部となっている。

 ◾︎隆良(岡田将生)

リカの彼氏。付き合って3週間だが既に同棲している。就活に否定的であり、4人に対しよく持論を勝手に話し始めるが就活現場で目撃されている。1年休学しているため大学5年生。

 ◾︎サワ先輩(山田孝之)

理系の院の2年生。タクトの演劇サークルの頃の先輩であり、頼れる存在。やけに達観しており千人のようである。

 ◾︎ギンジ(藤原季節)

演劇サークルでタクトと決別し、新しく毒とビスケットという劇団を立ち上げた。月に一度必ず公演をしており、匿名掲示板では"質の悪い作品を連発している""数撃ちゃ当たると思っている""テーマが似てきている"などの批判を受けている。

  メインの7人の基本情報を書いてるだけで具合悪くなる。

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 映画キャスト版の装丁でみると、右半分がいい奴で左半分がゴニョゴニョって感じ。誰に感情移入するかによって感想も違うんだろうけど、この佐藤健演じるタクトという男がまあわたしすぎて。

・コミュニケーション能力が高いわけではない。

・リアルでの関わりよりは匿名でのアカウントで持論を展開することに生き甲斐を見出している。

・リアルで会った人のアカウントをすぐ特定しようとする。

・人を小馬鹿にしている。

・誰に言うわけでもないが自分は観察眼が鋭いと思っている。

 

わたしかよ。

このタクトという男は@何者という名前で、鋭い( )視点のツイートをするアカウントを持っている。そこには就活仲間や、俺就活しねーしとか言ってクリエイター( )みたいなことをしている岡田将生をpgrしたpostをしまくっていて、それが岡田将生の彼女である就活全然上手くいってない二階堂ふみにバレてしまう。

そこからもう既にしんどいけど、何でふみにばれたかってタクトはESに書くようなPCアドレスで裏アカウントを取得していて更にアドレス検索設定OFFにしてないんだよ。馬鹿かよ。鍵無しの裏垢なんて捨てアドで作るのが鉄則だろうが。

裏垢っていうかリア垢でないアカウント、おたくならほぼ全員持ってるだろうしおたく用メイン垢の他に忍んで使っているアカウントがある人って少なくないと思う。わたしにとってははてなブログがそれに当たる。

なんていうのかな、自分のことを誰も知らない場所で持論を語るのって知り合いの目を一切気にしなくていいから楽なんだよね。これを書いたら変に思われるかないやな気持ちにさせるかなとかそういうしがらみがないから。

でもわかる人が読めばなんのことだか分かっちゃうし、特定の人を叩くという行為をワールドワイドウェブに公開されてる場でしちゃってることがもう幼稚だなあって思ってしまうよ。

これが鍵で誰にも見えていないんだったら何も問題もなかったのに、それが出来なかったタクトの自己顕示欲と承認欲求の強さが観ていてとにかくつらかった。

cocoloni.jp

 この連載が本当に本当に大好きで定期的に読み返しているけど、タクトとは逆の立場の人の投稿があった。これを読むと改めて匿名アカウントについて考えてしまうな。

誰も知らない自分になれていると錯覚しているとき、誰かがそれを見て笑っているかもしれない、傷ついているかもしれない、常にそれを考える"想像力"が必要で、想像力のない奴らが嫌いだって度々口に出していたタクトが実は一番想像力のない人間だったというオチが皮肉でよかった。

"深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ"ってこういう時の言葉なんだろうか。ちがう?

何者を観た前日がスカパーでねもしゅーの夢と希望の先をやっていた日で、彼氏へのプレゼンも兼ねてリアタイしての翌日何者読破しての映画だったのでさすがに精神的にも体力的にもしんどかった。 

 

何者の総合的な感想としては、映画と原作両方見るなら映画観た後に原作を読んだ方がいいし、原作ファンなら映画は別に観なくてもいいかなという感じです。

キャストは皆ハマリ役ばかりだけど心理描写とかやっぱり映像化では厳しい場面が結構あって、ここは入れて欲しかったなあと思うところも多々あった。逆に映画でよかったところは烏丸ギンジの劇団の雰囲気がかなり感じ取れる演出になっていたところ。わたしの無理なタイプの小劇団って感じで笑った。絶対つまんない。

辛い話なんだろうなっていう覚悟のもとダメージ負わないように心の準備をして観に行ったら思ったより大分ソフトな作りになっていたので少し拍子抜けだった。

原作のほうがしんどみがすごいです。

そんなかんじ。

 

おしまい。

わたしの理想の男性像

応援していた俳優に対する気持ちは多分ガチ恋だった。

 今でこそ接触イベントが多発しているみたいだけど、わたしが追っていた時は直接話せることなんて殆どなかった。彼と厨のコミュニケーションなんかアメスタのゆっくり流れるコメントをひとつひとつ拾ってもらっていたことくらい。接触イベントやトークイベントがない役者を応援していると、役者本人の印象はかなりファンの想像の世界に傾いてくる。わたしは彼に対して理想の男性像・俳優像を抱いていたように思う。ろくに恋愛もしてこなかったわたしがガチ恋になるのは至極当然だったのかもしれない。

 ブログやTwitterで節目節目に丁寧に言葉を紡ぐところ、アメスタで拙いながらも懇々と話をするところ、毎公演カテコで自分のファン1人ずつに目を向けるところ、全員の名前を覚えようという心意気を感じるところ、実際に覚えているところ、ファンに分け隔てないところ。

彼にがっかりしたことなんて一度もなかった。他厨がオタに媚びてるって思ったとしても、わたしは一度もそんなこと思わなかった。お花畑って蔑称が俳優の良いところ以外見えていない厨を指すなら、わたしは間違いなく超絶お花畑だった。そりゃあもうとんでもなく。

好きな人には好かれたいじゃないですか。でも冷静に考えてオタクが好かれたい()とかほんと何言ってんの()って思われてしまうので、嫌われないことを一番に心がけた。行けるだけ行ったしお花も手紙には書かず匿名で出したし*1プレゼントも買った。出待ちなんて論外。若くて金遣いの良いおたくこそが一番だと思っていた。同厨に叩かれるポイントをただの一つも作りたくなかった(顔はまあ仕方ないとして)。

慎ましやかな良いオタクであることになによりの熱量を注いでいた。幸い?彼は月1くらいで舞台はあったけど、規模も小さく公演数も両手で足りるくらいしかなかったからJKやただの一般職でも通うのは容易いことだった。2.5の俳優を追ってる人の半分もお金は使ってないと思う。

 

今までのわたしの人生は、おたく以外の場面でも自分は悪い人間ではない(というかそうありたい)という思いが常に心の支えになっていた。

誰かと揉めそうになったら、決してやり返さず言い返さず、第三者が仲裁に入った時にそれは100%相手が悪いですとなるように仕向けたいという思いがずっとわたしの中にある。あなたに非はありませんと言われたい、誰かに肯定してもらいたいという気持ちが大きく胸の中にある。腹の内はともかくとして、表面上は間違ったことをしない人間でありたい。

 これは異性に対しても同じで、悪い人間ではないと表面上思える人を好きでありたいと思っている。界隈では常々カノバレだのなんだので炎上が頻発しているけど、そういう匂わせも全く感じない推しに魅力を感じていた。もちろん芝居をしている姿も好きだったけど、ファンに見せている内面の完成度がたまらなく好きだった。あの時ファンに見せてくれていたその内面のままの彼とお付き合いしたかった。そういう意味でのガチ恋だった。 そんな思いを抱えて応援していたら、ちょっとばかしこじらせすぎてしまった。

わたしが見ている姿が彼の全てじゃないことなんて百も承知で、彼の見せてくれる俳優像をわたしはお金で買っていたんだと今は思っている。本当の彼なんて知りたくないから、本気で付き合いたかったかって聞かれたらきっとそうじゃない。

5年10年応援し続けたとき、多分わたしは彼氏もいないままおばさんになってるんだろうなあって未来だけがものすごく簡単に想像出来た。彼も厨もいい年になって、ある日突然カノバレとか結婚報告なんかがあったらきっとわたし死んでしまうと思った。彼女いるんだろうなあって人と彼女いますって人では天と地の差があって、彼女いるってわかってる人のことをわたしは応援出来ない。絶対マジで本気で100%無理。

なぜなら理想の俳優像を見せてくれた彼のことが好きだから。

でもいつかきっとその時はくるし、わたしも永遠に良いおたくをやってる訳にはいかないことなんてわかってて、そしたらもうめちゃくちゃ怖くなっちゃって、別の俳優に降りた。まだカノバレも何にもしてないのに。今度は内面じゃなくて芝居が好みの俳優にしてみたけど、色々な場面での脇の甘さが目に余って結局全然ハマれなくて、すぐに降りて街コンに行った。第一回の街コンの人と今も付き合ってるよ。すごくない?

つまりわたしがオタ卒したのは妄想が行きつくとこまで行った結果だった。

順調に一般人やっている。ほぼ初めてまともに交際を始めたせいで、最初の3ヶ月くらいは世の中の男女こんなことしてんのかよあの彼もこういうのやってんのかよほんと無理死にたいって毎日思っていた。現場行かなくなって1年半くらい経つけど全然まだ余裕で好きだし、遊びに行きたいとは思ってるけど多分接触イベントなんか行った日には即刻出戻りすると思う。全然現場来ないのにTwitterで好き好きうるさいピンチケの気持ちをようやく理解した。現場でのちょっとしたストレスを感じず日常生活謳歌して、たまにSNSとかチェックするのノンストレスすぎる。ああいうピンチケが〇〇くんのふぁん名乗っていいなら一銭も落としてないわたしだって古参名乗っていいよね。死んでも名乗らないけど。

わたしが自信をもって今この一瞬が人生で一番幸せです!!!って思える時がきたら、久しぶりって言いに現場に行きたい。完全にこっちの事情で勝手に行かなくなって勝手にまた来たおたくだけど、きっと彼は笑顔で久しぶりって言ってくれる。はず。だってわたしが一番だいすきな理想の俳優だもん。

女としての幸せを目指して厨降りたんだから、絶対に幸せにならなければならないし幸せになるよ。破り捨てられたっていいから絶対に事務所に結婚しましたのハガキ送るんだわたしは。

早めに幸せになりたい。そして早めに会いに行きたい。

 

おしまい

*1:誰が出してるかなんてわかってるよね?という気持ちはかなりあったけど、紫のバラの人になりたかった。

月刊「根本宗子」第13号 『夢と希望の先』

幼馴染とおたくをしている間に出来た友達を除くとわたしには自力で作った友達が1人しかいない。その子とはものすごく仲がいいってわけじゃないし、考え方とか性格とかも似ていない。ただ出席番号が前後だったことがきっかけだった。お互い激しくない性格で、人に合わせるタイプの人間で、クラスにあまり馴染めてなかったからなんとなく一緒にいた。高校1年2年と同じクラスで、ちゃんとお互いのことを話すようになったのは2年の最後の方だった。3年生のときは違うクラスだった。

その子の好きなバンドのライブについて行ったり、学祭を見に行ったりでなんだかんだ高校卒業後も年に3回くらいは会っている。その子は今大学生だけど現在休学中で、わたしは高卒で事務職をしている。お互い違う環境で暮らすようになって、ああわたしこの子の生き方が全く理解出来ないんだなって知り合って6年目くらいで最近思った。自分の考えを曲げたくなくて、自分が間違ってないと思ったら謝りたくないようで、事なかれ主義のわたしはもっと上手に生きればいいのに、なんて上から目線だけど話を聞くたびに思ってしまっている。話し方や雰囲気は温厚なのに妙に頑固なところがある子だ。

もっとこうした方がいいんじゃない?あなたの為に言うけど、なんて言葉がいつも喉から出かかるけど大きなお世話だろうと飲み込むことが多々あって、今まで遊んでいる間は楽しいのにその後3日間くらいもやもやしてしまっていた。そして、ちょうど先週その子と遊んだので今週はもやもやが続いていた。

そんな中、今週の木曜日に月刊 根本宗子「夢と希望の先」を観に行った。

小さい頃からずっと一緒にいた親友と芸術家志望の24歳無職の彼氏との間で板挟みになって彼氏を選んで10年後、完全にフリーターになった彼氏に浮気されて別れて10年前の親友に懺悔するって内容だった。

もっと超越した所へ。から観始めて今回が一番つらかった。

10年前に絶交した親友に「私に会いたくなったら聞いてね」って渡されたCDに入っていた"さっちゃんのセクシーカレー"を聴くシーンで号泣だった。何年来の親友だとか彼氏が糞野郎だとかそういう背景は抜きにして、2人とも主人公のことが大好きでこうなってほしいっていうビジョンが各々の中にあるんだろうっていうのがめちゃくちゃよく見えた。そしてそれを押し付ける言い方しか出来なくって、主人公のさっちゃんもさっちゃんで正しい道を見誤ってしまって不幸へと一直線で進んでいた。

おたくをやめて彼氏をつくって、普通の生活をするようになってから根本さんの書く話に共感したり明日は我が身と怖くなることが増えた。面白いのはもちろんだけど、自戒の意味も兼ねて根本さんの舞台を観に行っている面もかなりあって、今回はまさにドンピシャだった。

「あなたの為に言ってるんだよ」「普通はこうだよみんなそう思ってるよ」という呪いの言葉がずっと頭から離れない。主人公のさっちゃんがわたしの友達で親友のえっちゃんをわたしに投影して観ていた。わたしは舞台みたいに重要な人生の分岐点を争っているわけじゃないけど、もし友達が誤った(ように見える)選択をした時きっと出来ることは何もなくって、10年後のさっちゃんを優しく受け入れることしか出来ないんだろうな。つらいな〜〜〜〜10年後のさっちゃん幸せになれるといいな。

10年前の親友のプールイさん演じるえっちゃんは、言ってることは間違ってないのに「私はさっちゃんが大好きだから言ってるんだよ?」「絶対おかしいよ!普通そんなことしないよ!!」ってただそれだけを繰り返すことしか出来なくて、自分の決意をひたすら否定され続けるさっちゃんは逆上することしか出来なくなっちゃって、本当に悪い説得のお手本のようなシーンだった。自分の意見を"普通はこうだよ"って言葉を隠れ蓑にして話されるの本当に腹立たしくて、えっちゃんの言ってること何も間違ってないのに観ているこっちが何故かムカついていた。

わたしの友達が不幸になるわけじゃないし、必ずしも間違った選択をしているわけじゃない。わたしの考え方とは全く違う生き方をしているからってわたしが悩む必要もきっとなくって、ただ話を聞くに徹するのがきっと正しい。最近母親に「人を思い通りにするなんて無理だってあんたたちを育てて悟った」って言われて、わたしの心に何かがグサリと刺さったけど、身内でそれなんだから他人を思い通りにするなんてもっと無謀なんだろう。劇中の言葉を借りるなら、どんなに似てると思っても結局同じ人間なんていないもんね。心に刻もう。

共感が高まるにつれてどんどん根本さんの舞台を一人で観るのがつらくなってきてしまって、来年の一本目は彼氏を引っ張っていくことにした。舞台デビュー。劇中の台詞で、「10年前私が偶然すれ違ったのが友近じゃなくて香取慎吾だったら完全に運を使い果たしてたね」っていうのがあったけど、終演後駅前で馬鹿よ貴方はのファラオさんを見かけてどっちだろうの気持ちになったよ。

本多劇場は今回初めて行ったけど、下北サンデーズ大好きマンには感慨深いものがあった。初本多劇場で面白い演劇が観られてよかった。長井さん出ないのめちゃくちゃ残念だけど来年も楽しみだな。

 

おしまい。

 

やっぱこれだね

だーじゃーはお

ミュージカルテニスの王子様上海公演に行ってきた。テニミュを初めて見たのは2nd関東氷帝で、関東立海以降は2nd全立3rdルド山吹のみ。そんなテニミュにわかファンのわたしが海を越えてきた。

遠征理由は単にパスポートを持っているのに全然使ってなくて勿体無いから。その土地の名所に興味がないので、テニミュという目的がありつつ普段行かない土地に行けるというのは願ってもないことだった。

青春体感ミュージカルだってことをしみじみ感じた上海公演だった。2nd関東氷帝以前にサマフェスってイベントがあったと思う。色々と物議を醸したサマフェス。わたしが初めて参加したテニミュに関係する催しである。本公演観劇前にそこで推し(のようなもの)が出来てしまったために、キャスト誰一人に興味がない中で自発的に足を運んだのはこの上海が初めてだった。*1更に原作を所持しているものの、特定のキャラクターが好きということもないので、キャラへの思い入れもない。

そんな人でも楽しめる、それがミュージカルテニスの王子様。複数公演行っていた頃から揺るがないM1だけのためにお金を払える感。M1どころか漫画でよく知っているキャラクターが今目の前に実在して青白い光に照らされながらポーズを決めているその瞬間だけに6000円払えてしまうよわたしは。テニミュっていいなあという思いが冒頭で全身に溢れてしまった。

上海公演を観劇するにあたって不安要素と言ったら無事に帰国出来るかと観劇マナーの違いに関してだったけど、思っていたよりも良かったんじゃないかと思う。私語はたくさん聞こえてきたけど不思議なもので、言葉は理解出来ないのに何に興奮しているのかがわかってちょっと面白かった。過激厨じゃないからわかる☝︎の気持ちになって楽しかった。ちゃんと日本式マナーでやる努力もされてたし。

hatenanews.com

 「スマホを舞台に向けているお客さんがいると、劇場スタッフが後ろからその画面にレーザーポインターを当ててくるんです。そうするとお客さんはスマホをしまう。舞台上よりも客席で何本ものレーザーの光が飛び交っているという、不思議な光景でした」とその様子を振り返ります。ところが、公演を重ねるたびにレーザーポインターで注意を繰り返していたところ、千秋楽公演でスマートフォンを取り出した観客は0人だったそう。

噂には聞いてたけど、本当に写真撮ってる人の電子機器にレーザー当ててた。物理的すぎて笑ってしまった。そんなこんなで日本とは少し違った環境のテニミュも楽しむことができた。日本人はチケットが全て当日引き換えだったのかな、引き換えたら観劇した2公演ともいい感じの席が出てハッピーだったのもある。

小声ですらない会話をガンガンしてるような人たちなので 劇中の驚嘆の声なども日本とは違って、リョーマ着替えのシーンの盛り上がりには笑ってしまった。発声上映とか応援上映とか流行ってるけど本当にそんな感じ。やっぱりリョーマ手塚不二跡部は人気なんだなと思った。本公演での歓声にそこまでの差を感じたことはなかったから新鮮だったし、カーテンコールで挨拶に出てくる時の歓声は最高の誉れだろうなあと思ったよ。

こんなくそにわかなのに海を超えた言葉も通じない国でこんなにも歓声があがるテニミュはなんてすごいんだろうかと感動してしまった。テニミュってすごいんだよ。VIP特典で写真も撮れたし楽しいことばかりの上海だった。テニミュの楽しさに気づいてしまったわたしは次の六角からはちゃんと行く決意をしたのだった。

一応青学トリオ厨のわたしは、トリオを中国語で青学三小花と書くと知ってなんて素晴らしい表現だろうと思った。そうだよトリオは青学の小さい3つのお花なんだよ。これ以上ない最高の表現だね。上海公演てこともあってかなり中国語が取り入れられていたけど、発音がかわいくてかわいくて何て言ってるか全然分からなかったけどとにかくかわいかった。あと中国語わからなすぎて全部うまく聞こえたけど結構通じてないのもあって笑った。

また海外公演あったら行ってしまうかもしれないなあと思った上海公演であった。

 

おしまい。

*1:6代目卒業以降は人から誘われて行っていたので。