笑顔で君とはさよならするよ

カスタマイZというバンドの解散ライブに行ってきた。skr21.hatenablog.com

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カスタマイZというのは元々カスタマイズっていうバンドのギターが脱退すると同時に解散。新しいボーカルを迎えて元のボーカルがギターへ移動という形で再結成されたバンドだ。

そのZの解散ライブということは、彼らは2度目の解散となる。わたしのうだうだしたくそな気持ちは誰が読むのかみたいな長い上のブログに書いてるんだけど、解散ライブ終わったからまた書く。

ファイナルステージでは無印の頃のオリジナル曲は聴けるだろうか。最後にそれさえ聴ければなんの悔いも無い。

なんてことを1ヶ月前のわたしはブログに書いたけど、instinctも君の名前を呼んでいるもやらなかった!!悔いめっちゃ残ってしまった。

よくよく考えてみれば、このライブはカスタマイズではなくカスタマイZの解散ライブなので、無印の頃の曲なんてやらなくて当然だよなと終わってから気付いた。どう考えても志半ばでの解散で、過去の曲なんてやってる場合じゃない。Zの全てを出し切って終わりたいよな…という形で無理矢理自分を納得させたので、その点に関して今後考えるのはやめよう。

解散ライブは平日18:30スタートとかいう社会人にはなかなか厳しめの時間で、開演5分前くらいに友達と合流して観てたんだけど、知ってる曲が3曲しかなかった。Z全然追ってなかったけど、ここまで知らない曲があるとは思わなかった。

1曲目が無印時代のもののけ姫だった。知ってる曲だー!!と思ってすごくテンションが上がったのに、この後に及んでZ受け入れてない芸人は聞こえてくる歌声があの頃とは違う人で、且つ大好きだった人がセンターにいない現実がつらすぎてちょっと泣いてしまったよ。

MCなんかも殆どなくてずっとZの曲を歌い続けて演奏し続けていた。途中でやっとMCが始まったと思えば、メンバー誰がかっこいいか声援で決める、若手俳優トークイベントみたいな謎のコーナーが始まった。これは本当に解散ライブなのかという感じがあった。Zのことが全くわからないけど、きっとあれが普段の"カスタマイZらしさ"だったんだろうと思う。

なんか尻の話とかしてた。解散ライブなのに。解散ライブなのに尻を蜂に刺されて軟膏塗った話してた。若手俳優コーナーの罰ゲームでノニジュース飲んだりしてた。解散ライブなのに。解散ライブだけど泣かせない、とにかくZの曲をたくさんやって出し切って終わるみたいな構成になってたんだと思う。

何度も書くけどわたしはZのことを殆ど知らないからこのライブが始まる前までは無印のオリジナル曲とsecret baseは絶対やると思っていたし、カバー曲も少しはやるものだと思っていた。それが蓋を開けてみたらほぼZの曲だけでライブが構成されていて、Zはこんなにも曲を持っていたのかという衝撃があった。

Zの曲だけでも良かったと思うのに、無印時代のシングル曲2つをやってくれたのは優しさなのかなとも思った。

secret baseをやらなかったことだけがただただ悲しかった。アンコールでギターを無印の頃のレスポールに持ち替えた時絶対にやるって確信をしたのにやらなかった。今度こそ10年後の8月には絶対会えないんだなあって勝手にこじつけてしまった。

 解散ライブというものに行くのは人生で2回目で、両方彼らのライブ。あんなに報われない最後があるのかってくらい彼らの最後の挨拶はつらいものだった。

誰が悪いとかじゃないけどこんな形になってしまってって言うだいちゃん。

泣きじゃくりながらやっぱり辞めたくないですって言うてらぴ。

2回目の解散なんていう情けない形になってすみませんでしたって深々頭を下げるごろー。

どれもわたしが想像していた解散ライブの最後の挨拶ではなかった。3年前の解散ライブとは明らかに言葉の重みも変わっていた。グループの解散っていうのは、メンバーの思い描く音楽の方向性が違うとか、目指す道が変わるとかで、悲しみながらもやりたいことが違うなら仕方ないねって納得せざるを得ないものだと思っていた。まさかカスタマイZ辞めたくないですなんて言葉が飛び出してくるなんて思ってもみなかった。

現場に足を運ばなくなってから3年が経って、久しぶりに見た彼らのパフォーマンスは想像を遥かに超えていた。だいちゃんもてらぴもごろーも演奏の腕が上がっていることは、音楽が少しも出来ないわたしにもすぐ分かってしまう程だった。ボーカルのHAMAも、お披露目ライブで全然発声出来ていなかった時とは全く別人のように何曲も高らかに歌い上げていた。素直に、勿体無いなと思った。

MCだって、わたしの知ってる栗原吾郎はとにかくマジレス男で真顔で訳分かんないことを口走るような人だったはずなのに、ものすごく立派にリーダーとしてきちんと場を纏めていた。演奏やMCの端々で、3年前とは違うんだということを感じずにはいられなかった。

みんな、"カスタマイZは大切な場所です。沢山のスタッフさんやファンの皆さんの期待に応えられなくてごめんなさい。この2年半、カスタマイZとしてやってきたこの思い出は死ぬまで忘れません。"って言ってた。わたしなんかはともかく、追いかけていたファンの悲しみはいかばかりかと。円満な解散って変な字面だけど、円満じゃないんだろうなあって少なくともわたしは思った。悔いが残ってしまっているんだなと思った。

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解散ライブでは語られなかったけど、メンバーブログの一番最後に更新されたこの記事で、解散理由は推しが辞めるからだということが分かってしまった。事実を聞けて良かったような、一生知らないままでいたかったような気分だ。

いつも飄々としていて何を考えているのかわからないような人だったけど、ブログの文章を書くのは妙に上手で、こんな時にもいいブログ書くなあって泣いてしまった。

ファンから言えることなんて今までありがとうとこれからも別々の道で頑張ってねってことくらいで、本当に無力だなあ。

これから先はバラバラになるメンバーの幸せを願うしか出来ない。芸能の世界でこれからもやっていくって断言してるだいちゃんとてらぴは舞台を観に行ったりして応援が出来るけど、残りの二人がもし引退するならば、もう祈ることしかわたしには出来ない。

わたしは大好きだった栗原吾郎くんが、お茶の間で活躍する姿が一度でいいから見たかった。多分難しいって感じているけど、それでも叶ったらいいななんて思うことくらいは許してほしいな。

わたしが早々と応援を辞めてからもずっとずっとZを応援してた子と最後に写真が撮れたのが嬉しかった。LINEカメラのスタンプをメンバーカラーにして顔を隠すのが懐かしくて、ついやってしまったよ。メンバーのみんなもファンのみんなもお疲れ様でした。

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会場に入る前に友達が無印の頃のギターだったけんちゃんに会って、青い服に青いヘッドホンをしてたって言ってた。カスタマイZの解散ライブに青を着て来てくれるってことだけで、わたしはもうそれだけでものすごく嬉しかったよ。無印の音源もっと沢山欲しかったな。

 

おしまい。

 

側にいるのに遠いから②

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前記事の通り、その後のワンマンで解散が発表された。動員がずっと少ない中でメンバー内でも色々思うところがあったんだろうと思う。抜けることとなった子のための前向きな終わり方だったのかなとなんとなく今まで思っていた。

だけど、学校の友達を呼んでまで再結成して、アニメのタイアップとかももらって、それでもやっぱり解散することになった理由ってなんだろうなと少し考えた。だって何かやり残したことがあったから再始動したんだとばかり思っていたから。メンバーの誰かに大きな仕事でも入ったんだろうか。

無印の解散がわたしの推しから発表された時、まわりのファンの子達がどんどん泣き出したのをよく覚えている。殆どが見たことのない子達だった。今この場で泣いている子達が、1回2回でも武者修行のライブに行っていたならば、もっと先まで彼らの活動を応援できていたんじゃないかと思ってしまった。終わりが決まってから後悔しても何の意味もないんだよと思った。だけど今こうして現場に行かないことを後悔している自分がいる。

現場でつらいこともそれなりにあったけど、無印のころの彼らが本当に本当に大好きだったのでZを受け入れることは今でも全く出来ていない。Zの現場に行ったのも、グループが一堂に会するライブを除けば2回だけだ。

そんなわたしが後悔なんて言ったら語弊があるかもしれない。 現場に行っていないのは単に今の彼らの音楽が好みではないからで、解散してもしなくても今のわたしには何の影響もない。今まで自分の中心にあったものが突然消えるという喪失感があるわけでもない。

だけど、あの頃好きで好きで仕方なかった彼らの努力や苦労は目標*1を達成出来る事なく終わってしまうのだなということに一抹の寂しさがある。

わたしがいつか結婚式を挙げた時に彼らに営業かけて出演依頼をしよう!!っていう冗談すら言えないことがとにかく寂しい。知ってるおたくと同窓会してみんなでグループグループショット撮りたかったなあ。

無印のワンマンライブで解散が発表された後に演奏が始まった曲は、secret base〜君がくれたもの〜だった。『10年後の8月また出会えるの信じて 最高の思い出を』って歌詞がある大好きな曲だ。10年後の8月に彼らが存在しているかっていったらそれはそうじゃないかもしれない。なんとなくそんなことを思ってはいたけど、そのときまた会いに行けたらいいなあと少なからず思っていた。でももう10年後にはZも存在しない。

ずっとずっと応援するんだって信じてやまなかった俳優のおたくを辞めて、結局おたくなんてただの趣味でしかないんだなとつくづく感じた。俳優やアイドルがどんなに頑張っていても、おたくは個人の事情で簡単に離れていく。おたくが応援していくことも彼らが活動を続けていくことも、絶対なんて確証は何処にもない。あの時行っていればって後悔だけをしないように生きていくしかないんだな。

もし推しがEBiDANに加入せず、横浜くんのようにニコラモデルを引き連れてライブを観に来ている側の人間だったなら、彼は俳優として成功を収めていただろうか。元々俳優としての彼のファンだったせいで、最近になってそんなことを考える。たらればでしかないのは分かっている。

Zの4人いるメンバーのうち、はっきりと今後も芸能活動を続けていくと明言しているのは2人。特に言及していないのが2人。わたしの推しは後者だ。ファイナルステージが最後の姿になるのかそうでないのか、まだ分からない。

芸能界で生きていくことが始めから決められたようなビジュアルを持って、声も頭も運動神経も良い彼はこれからのことをどのように考えているのだろう。彼にとって幸せだと思える決断をしてほしいと思っている。ファイナルステージでは無印の頃のオリジナル曲は聴けるだろうか。最後にそれさえ聴ければなんの悔いも無い。

今後の彼らの人生が芸能人であれ一般人であれ、幸せで充実したものでありますように。

 

おしまい。

 

 

解散ライブ感想

*1:アニソンで天下を取って埼玉スーパーアリーナでワンマンライブをすること

側にいるのに遠いから

とあるバンドが解散するらしい。高校2年生だった頃に好きで好きで仕方なかった人たちだ。高校3年生の夏にも一度、卒業という名目で事実上の解散をしている。

1度目の解散が発表されたのは2013年の8月1日だった。

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 その日は彼らの初めてのワンマンライブだった。更には、メンバーの1人の16歳の誕生日だった。今ではオリジナルうちわなどを配布して行う生誕企画だけど、当時はルミカサイリウムを配って行った。結局最後までその日誕生日だった彼におめでとうと言えることはなかった。

少し経って、彼らは事務所の先輩であるももいろクローバーZに倣ってか、今までのグループ名の末尾をZに変え再始動した。*1あの日誕生日だったメンバーはいなくなっていた。代わりに新メンバーが入るらしく、おたくの間では大予想大会が開かれていた。

お披露目ライブのある12月29日まで情報戦が繰り広げられていたのを覚えている。大手であるスターダストには所属しているだけで活動をしているのかも分からないような人たちが何人もいた。きっと新メンバーになるならその中からだろうとなんとなく思っていた。

ライブ当日に品川ステラボールのスクリーンに映し出されたのは、当時おたくの間で有力とされていた人だった。ボーカルの学校の友達で、芸能活動をしていたわけでないただ歌の上手い高校生だ。なんだよ学校の友達って。彼の加入によって元々ボーカルであったわたしの推しはギターボーカルへと変わり、新メンバーをボーカルとして迎え新体制のグループが出来上がった。

話は戻り、わたしは無印結成のお披露目である2012年3月20日から翌年春くらいまでしか現場に通っていない。そこから先はゆるゆるとしか現場に行っていなかった。

無印のワンマンが行われた時、わたしは既にアイドルステージの方に夢中だった。だけど初のワンマンライブということを踏まえて、初めてスタンド花を出した。これからどんどん濃い色をつけて活躍していけますようにという願いを込めて、4人のメンバーカラーのパステルカラーで作ってもらった。勿論無印の彼らが活躍することはなかった。

解散が発表されたあの時、もう殆どその現場のおたくと呼べない状況だったわたしは、悲しむことも出来なかった。ただただその発表はなんで今日なんだろうと思っていた。

ワンマンライブ終了後に予定されていた特典会は、メンバーが浴衣を着て対応してくれるというものだった。たくさんのファンの子たちがかわいい浴衣を着ていた。わたしもその中の1人だった。初めてのワンマン。メンバーの生誕*2。浴衣で特典会。楽しいことが詰まっているはずのライブは、終演間際の推しの一言で全て消え去ってしまった。

開演前にCDを購入して特典券を手に入れていたけど、言いたい言葉も思いつかなくて、2ショットを撮る気にもなれなくて、特典券を友達にあげてそそくさと家に帰ったのを覚えている。解散理由は、認めたくないけど人気がなかったからかなと思った。

本当に動員がなかった。彼らは数ヶ月間武者修行というタイトルで週に何度も各地のライブハウスで演奏活動を行っていた。ほんとにまじでやばいくらいおたくが来ていなかった。実際わたしも全然行っていなかった。たまに行くと、2桁もおたくがいないなんてこともあった。毎月一回、横浜のアニメイトで無銭ミニライブ+特典会をやっている時はそこそこの人数が集まっていたように思う。つまるところ環境の整ったライブハウスでの演奏や歌よりも、握手や2ショットを撮ることの方がおたくにとって重要だったってことだ。

 元々彼らは楽器を得意として集められたわけではなかった。EBiDAN THE LIVE春の陣というライブで、お披露目される1ヶ月前くらいに楽器を始めたような人たちだ。

その一つ前の12月のEBiDAN*3のイベントでは今をときめく超DPの方々や、今はもうないけどクリーミーさんなどなどといったグループがあった。もっと作っちゃおうみたいなノリで作られたんだと思う。多分。

ダンスボーカルグループじゃないけどその12月のイベントは保健室という演劇ユニットもあって、あの横浜のりゅうぴーとかがいた。結局保健室はわたしの初現場となる3月のライブには出なかったので、12月こっきりで終わってしまったらしい。

そんな感じで元々EBiDANとして活動していた3人と、EBiDAN新加入の推しの4人でバンドを組むことになった。たどたどしい演奏だったものの、3月5月とオリジナル曲を披露していた彼らはとても格好良かった。

8月になって新曲です!と言って弾いたのがハレ晴レユカイだったときはひっくりかえったけど。アニソンカバーバンドとしての幕開けだった。この間にレギュラーラジオでグループ名の募集があったりした(それまでは新ユニットと呼ばれていた)。

EBiDANという大元のグループは、元々演劇の公演や、原宿でのストリートイベントなどを行っていた。超Dのメンバーの一部が組んでいたTR2Y2というグループもあったらしい。人気を博していたようで、わたしが初めて足を運んだ3月のライブもTR2Y2が好きだったという人が多かったように思う。

無印には元々EBiDANにいた子たちもいたものの、あまりガッツのおたくはいなかった。彼らのファンという人たちは数名しか見られなかった。*4

無印のファンであるわたしから見ても、ダンスや歌、トークのどれを取っても先輩であるグループの方が上手なのは簡単に見て取れた。あの中で楽器初心者の彼らがファンを増やしていくのはなかなか難しいことだったろうなと今も思っている。

そんな彼らも2012年の10月にはインディーズでデビューを果たした。1stシングルはびっくり仰天、ハレ晴レユカイだった。無印としてのシングルは1stのハレ晴レユカイと、これまたびっくり2ndのもののけ姫の2枚だけだった。なんだよもののけ姫って。

 

長いので分けます。 

 

*1:前グループを無印、現グループをZとする。

*2:今までの流れとしては何かしらの歌を披露するだろうと思われていた

*3:恵比寿学園男子部の略称。

*4:当時1セット500円の写真を買うとグループ毎に握手が出来たので人気差は歴然だった

追っかけではない新しい人生の楽しみ

a2oo879k.hatenablog.jp

おたくを辞めて早半年。この方と全く同じ悩みにぶち当たった。おたくを辞めたはいいものの付き合いのある非オタの友達に会うのは3ヶ月に1度くらいなので、結果彼氏に依存してしまっている。俳優に依存していた頃から何も進歩していない。むしろ連絡を気軽に取れてしまう分今後迷惑をかける可能性は今の方が大きい。おたくの友達にはわりと定期的に会っているけど、楽しすぎて出戻りそうになることに非常に頭を悩ませている。

それもこれも、現在夢中になれる趣味がないからなのではと思う。一点集中型だった人生だけど、これからは興味を分散させて生きていきたい。

理想的なのは、

・自宅で出来る

・1人でも楽しく出来る

・初期投資があまりかからない

以上の3つをクリアした趣味である。

【文通】

まず1番に思いついたのがこれ。これが一番3つの条件に当てはまる。ファンレターを書いていた関係で、今でもシール、マステや封蝋、使いかけの便箋たちが大量に手元にあるのであと必要なのは切手くらいだ。趣味も年齢も違う人と交流できたら楽しいかなと思っている。ただ文通募集掲示板などを見ると、精神的なリハビリとして文通をしている人も多くいたので失言女王のわたしは上手くやれる気がしない。

個人情報を扱う趣味でもあるので、少し怖いというのもある。月額を払って仮想住所を取得する方法もあるけど、そこまでして、、、という感じが拭えない。よって踏み出せていない。

 【料理】

実益を兼ねている。20年間一切家事を手伝ってこなかった上に調理実習でも片付けしかやってこなかった。そんなわたしだが、最近彼氏の家で料理を始めた。クックパッドを見れば技術がなくてもそれなりのものが出来ることを知ったので、自宅でもやっていきたい。

 【編み物】

一切経験がない。出来たら楽しいだろうという安易な考え。

【ジェルネイル】

初期投資が上記の3つに比べて結構かかるけど、今3週に一度ネイルに通っていてだいたい一回6000〜といった感じなので自分で出来れば節約になる気がする。マニキュアもまともに塗れないくらい不器用なので現実的に習得出来るかは不明。

【読書】

中学の頃までは本を読むのが大好きだったけど、朝読書という時間が無くなってから本当に本を読まなくなった。一番最近買った朝井リョウの武道館(もう半年以上前になる)も目が滑って半分も読めていない。インターネット上の連載記事等はそれなりに読んでいるので、単に紙の文字が読みづらいだけかとも思う。Kindleを買おうかとも思ったが、わたし程度の読書量ならおそらくiPhoneで事足りるので積極的にダウンロードしていきたい。

【真剣佑くんの在宅になる】

かっこいいよね。顔面があんまりにも好きすぎてトークイベントに朝から並んだりした事がある。その時はあまりメディアに出たりイベント出演がなかったので気持ちが続かなかったけど、今は最高のドラマ(仰げば尊し)に出ているのでとりあえず3ヶ月は楽しく在宅おたくが出来ると思う。本当にただただ顔面が好き。ピーチガールのとーじ早く見たすぎる。

【書道】

候補7つ目にしてようやく家から出る。過去に13年間くらいずっと書道を習っていた。先生が高齢になり、教室を閉めると同時にわたしも書道を辞めたのだが、字を書くことは嫌いではないので縁があれば始めたいと思っている。

【運動】

中学は文化系の部活で、高校は帰宅部だった。日頃運動する習慣のない人間が事務職について、拍車をかけて身体を動かさなくなったので運動をするべきだという自覚がある。瘦せ型ではあるものの筋肉が無さ過ぎて日常生活に支障をきたし始めているのでジムでなくとも、スクワットくらいは始めたい。

 

以上8つが今のところの候補である。これらをそれなりに少しずつ始められたら中々いいのではないだろうか。

一点集中型の趣味は楽しいけど、それを辞めたときに心にぽっかり穴が開いてしまうのは避けたい。なんでもだいすき(ND)の人生を目指して行こうと思う今日この頃である。

 

おしまい。

 

舞台俳優応援スタンス-20歳社会人編-

今流行りのトピック「応援スタンス」について

 今はもうほとんどオタクではないので1年前くらいまでのスタンス。

 

■基本情報

・20歳都内勤務事務職

・都心まで電車で一時間ちょいくらいの実家暮らし

 

■担当

テニス出身俳優。

なんとなく名前は出してないけど過去のエントリを読めば大体察しはつくはず。人気があるかないかで言えばあまりない方。仕事はあるほう。多分。

 

■好きになる基準

・あまりオタクを釣らないでうまく飼うタイプ

・でも優しい

 歴代ちょっかい出してきた人たちに共通点がないのできっと直感。

 

■雑誌を買う基準

載ることが極めて稀なので全買い。

テニス中載った雑誌は1誌だけだった。それでもキャラクター的には奇跡に近い。

今は大きな作品に出ていらっしゃるので現役で追ってたら結構な冊数買うことになっていたのかもしれない。

 

■円盤を買う基準

発売日を過ぎて買ってないとその後絶対買わない法則があるから基本は公演期間中に予約。

記念に買うだけなので一人で観ることはほぼない。友達と鑑賞会開けば観るけど開催されなかったら未開封のまま積んであることもしばしば。歴代好きな作品BEST3が全部DVDになっていないのが不満すぎる。

 

■現場に行く基準・遠征に行く基準

行けるだけ行く。

平日昼公演はそのときの自分の仕事の状況を見て有休とって行ったり行かなかったり。夜と土日祝は全部入りたい派。

 

■公演グッズを買う基準

基本は全部。たまにある1セット1000円全15種みたいな地獄かよみたいなときは貧乏なので全買いはしない。

ランダム缶バッジとかメセカとかチェキとかは自引きするまではとりあえずやって2.3枚出したらやめる。

物販に関しては舞台を観に行ったらとりあえず買うものって認識で、特別欲しくて買ってるわけでもないので整理をほぼしない。おかげで家の至る所から発掘される。

 

■お金

ほかのおたくに関して一番知りたかったのが貯蓄支出の割合だったんだけどあんま書いてる人いなくてかなしい。

わたしは毎月同額貯金して携帯代とか色々払って残ったお金を全部趣味に使ってた。月給の1割くらい毎月貯金でボーナスの3割を貯金に回してました。

非オタからしたら使いすぎって怒られるだろうけどこれでも頑張っていた方だと思ってる。おたくをやめてからは貯金額増やしたよ。 

 

SNS/ブログ

自分ではTwitterとブログをやってる。

推しへのリプとコメントは気が向いたらするけどあんまりしない派。公開ラブレターみたいでなんか恥ずかしいから。

 

■手紙/プレゼントについて

大体作品ごとに1通と1品。

プレゼントは大体2万でおさまるもの。日曜日が千秋楽だとしたら打ち上げとかで荷物になるから大体土曜に預けてた。絶対着てくれるし身につけてくれるし、とにかくあげたものの9割くらいはヘビロテの人なので貢ぎ厨は彼のおたくになりなよ。あげたその日に写真があがることなんてザラだし、マチネでプレボに預けたらソワレの客出しで着て出てきたこととかあった。沸いた。

スタンド花もプレゼントに入れていいなら毎公演。大体2.5〜7。

 

 

推しかぶり/同厨

非ドル時代は無理だった。

テニス出身の人はみんな大好きだった。テニス時代同志が中々見つからなくてようやく探し当てて繋がれた人たちだから仲は良かったと思う。

知り合った人殆どみんな年上で落ち着いたお姉さんたちだったし、貢ぎ!全通!対応!みたいな目の血走った人たちじゃなかったから仲良く出来たんだろうなと思う。追ってたときは自分のことを見守る系オタ()と思ってたけど今考えるとまぎれもないガチ恋だったから似たようなタイプのオタクがいたら絶対いがみあってたはず。

連番したり公演終わりにご飯食べながら今日もよかったねえって平和にほのぼのお話出来たのはこの現場だけだったし本当にみんな大好きだった。

今度その人たちと旅行に行くよ。本当に今でも仲良くしてくれる友達が出来て彼にも感謝をしたい。

 

■総括

大体こんな感じ。

金と予定の都合のつく限り通い、おたくとも仲良くしたい派。同じものを好きな人と好きなものの話を出来るというのはすごく素敵なことだよ。

推しのことを世界で一番すてきでかっこよくてかわいくて人間としてちゃんとしている人だと思っていたし、わりと今も思ってる。

幸せをもらっているからわたしもそれを返そうと思って色々してたけど、一般職OLはおかげで常に金がなかった。

 おたくをやめてどうなることかと思ったけどわりとまともに生きています。しかしなぜか金はない。

 

隣の芝は青かった

季節は春。3〜4ヶ月に1度くらいしか更新していないおかげでエントリをあげるたびに状況が変わっている。最近起きた出来事を上げるとすれば俳優のおたくを辞めて彼氏が出来た。

 今年の頭に特定の誰かを追うということを辞め、めでたく一般人になった。
4年追いかけた人(伏せる意味もないけど俳優①とする)の次は半年しか持たなかった。やはりわたしが一筋に誰かを追い続けられる人間だったわけでなく、彼が特別素晴らしい人間だったのだなと噛み締めた半年間だった。
 
今はほぼ一般人としての生活を送っている。昨年末に街コンへ赴いたところ運良くご縁があったので、ごく一般的な1mmもおたくではない男性とお付き合いをしている。(街コンについては今の彼氏が彼氏でなくなった際にレポを残したい。個人情報だし身バレが怖い。リアルタイムで現状をスレに書いていた電車男まじでどうかしてる)
 
小学生の頃はジャニーズが好きで、中学生の頃はヴィジュアル系とか寺山修司とか丸尾末広が好きな典型的な厨二で、中3の冬にテニスを知りそこから今まで俳優とアイドルのおたくだった。授業中もバイト中も仕事中も常に推しのことを考えていたし、自分でお金を稼ぐことが可能な歳になってから舞台やイベントに給料のほとんどをかけるのが当たり前だった。
半年の人はあまり仕事がなく、ひと月の現場は2.3回程だったけれどそれでもなぜか5.6万くらいはかかっていた。貢ぎ1回2万が2回とチケ代と考えればそんなものかなと思う。
 
一昨年あたりから"このままおたくを続けてはいけない、いつかはきっと辞めないといけない"とずっと考えていた。だけど特別大きなキッカケがなく、俳優①のことは好きだった為にズルズルとおたくを続けていた。
俳優①のファンでいることを辞めて違う現場へ行ってから4ヶ月、おおかたその人の過去作や周辺を掘り尽くしてから突然”実は好きではないのでは?”と思い始め、ようやくじゃあこのまま辞めちまおうという考えに至って街コンへ行った。
 
ここまでが前置き。
 
 
それまでのわたしの思考の全てを占めていたおたくを辞めたら、当然だけどわたしの生活の軸になっていたものが消えた。今まで朝起きて仕事をして夜寝るまでいつも俳優のことを考えていたし、次の舞台のことや手紙に書く内容、プレゼントの案を考えていた。でもそれがなくなったらびっくりするほど何も考えることがなかった。焦って、とにかく何かしらしなくてはいけないと思い無理矢理予定を詰めた。
 
今年頭に成人式があったこともあり、友達の少ないわたしでも運よく地元の人と同窓会をしたり何度か飲みに行くことが出来た。小中の同級生とはほぼ連絡を取っていなかったので会ったのは5〜8年ぶりだった。それだけ時間が空けば会うと必然的に話す内容は昔話が大半で、それを終えたら自然と今現在の状況、嫌いなやつの話、彼氏の惚気の3つになっていった。
 
おたくだった5年間を思い返すと、わたしはほとんど現場で知り合った人としか遊んだことがなかった。高校の友達と休みの日に出かけた記憶って3回くらい。おたくと遊ぶときは大体推しがかわいくてかっこいい話か舞台の感想ばかりで、そういえば人の悪口とか暗い話ってあまりなかったなあと思いながら地元の人と飲んでいた。
暇でさみしいからわざわざ遊ぶ約束を取り付けたのに、いざ会ってみると嫌な奴のものまね大会と化す飲み会に早々に疲れてしまい一か月そこそこでおたくでない友達を誘うことをやめてしまった。
 
土日のどちらか片方は彼氏と会って、もう片方は友達と遊び、平日余裕のある日は美容院に行ったり気になる舞台を観に行くっていうおたくの頃憧れていた生活を3か月やってみたけれど、どうもしっくりこなかった。多分俳優おたくを飽きたから辞めたわけじゃなく、いつまでもおたくをやってちゃ駄目だと思って無理やり辞めたことにしたせいだと思う。
 
おたくを辞めたら自分にお金を使えるようになるから服だって好きなだけ買えるし、推しが出てるからって理由だけであらすじも読まずにチケットを確保しないで良くなる。気になる舞台も沢山観に行ける!って、ずっとそう思っていた。実際その通りなんだけど、わたしの場合は思う通りにはいかなかった。
自由に使えるお金はあるけど、お洒落をしよう!って思うモチベーション=俳優を観に行くことなんだって発覚してしまった。化粧するのもプリンを染め直すのもネイルするのも服を買うのも、全部全部推しとか同厨にキモいって思われない為だったらしい。鎧かよ。
お金ない中でも頑張ってやりくりしてきたことが急に全部面倒くさくなってしまった。舞台やライブ観に行くのだってそうだ。
前までは俳優①が出ていればクソ脚本と思った時も芝居してるところが観られればそこそこ楽しめたので発売日に問答無用で全部確保していた。だけど目当ての俳優もいないのにつまらなかったら最悪だなと考えてしまい、絶対面白いって確証がある作品しか観に行かなくなった。チケット代の5000円が急に高く思えてしまった。
 
ひと月あたりの外出日数で言ったら確実におたくでない今の方が多い。だけどおたくのときの方が俳優のツイートに喜んだり嫌いなおたくにイラついたり仕事がなくて悲しかったり舞台が楽しかったな〜って思ったり、喜怒哀楽が山ほどあって気持ちの面では忙しかったなと思う。楽しくてやってた趣味に負の気持ちが増えてきたからおたくを辞めたというのに、今おたくの頃は良かったって言ってるから本当にいつだって隣の芝は青い。

新しい趣味を見つけたい。やっぱりわたしは趣味:彼氏にはならないんだなとつくづく感じた。好きだなあとは思うけど、毎日朝から晩まで彼氏のことなんて考えないし、週末に会って一緒にまったり出来る人くらいの位置付けだ。のんびりまったりも良いけどやっぱりわたしは80点の緩やかな楽しさじゃなくて120点のとびきりハッピーと−100点のメンヘラ期のある毎日が良い。何かのことを考えて一喜一憂したいんだけど、それが出来る趣味ってなんなんだろう。

cocoloni.jp

 
雨宮まみさんのこの連載に毎回元気づけられてるけど、この間の更新記事がタイムリーすぎて100回くらい読んだ。

 今わたしに必要なのは、きっとご飯が美味しいとか髪が綺麗に染まったとか天気が良いとかいうちょっとした幸せで毎日が充実してるって思えるようになることだと思う。贅沢すぎる悩みなのは分かってる。次このブログを更新した時にまだ彼氏と続いていればいいなと思う。

リア充への道のりはまだ長い。
 

君がいる世界の中で

 

自分の応援している人が個人のイベントをやってくれる、または出来るだけの集客がある確率って一体どれくらいだろうと最近考えている。
中学生の頃、深夜ドラマが好きで毎クール必ず見ていた。ある時ドラマに出ていたとてもかっこいい人を調べると、元テニスの王子様のミュージカルに出演していた人だった。その人がテニスに出演しなくなってからもう何年も経っていて、その頃既に2ndシーズンが始まっており、2作目が終わろうとしていた。
高校に入学してすぐにアルバイトを始め、そうして手に入ったお給料で初めて足を運んだのはサマーフェスティバルというイベントだった。
2ndの本公演をDVDですらも見ないまま参加したイベントは全く訳がわからなかったけれど、テニスの王子様に出演している人が生で観られる空間というだけで大興奮だった。なぜか奇跡的に席が大体5列目以内だったこともわたしを興奮させた。
そして、その時好きになったのが4年後まで応援することになった人だった。公演も観ないで好きになるとか今思うと意味不明だし死んでほしいけどそこから今年まで追ってられたことって奇跡だなあと思う。
 
俳優おたくになりたての高校一年生のわたしは、「学生なのであまり公演にはいれません」「学生なので遠征が出来ません」みたいなことを手紙に書いちゃう系のクソみたいな奴で、初めて手紙を書いたのも彼だし、初めて物を贈ったのも彼宛だった。つまりわたしのおたく人生はこの人と共に歩んできたと言っても過言ではない。変な書をしたためた色紙をあげたり、LUSHで700円くらいで買える石鹸をラッピングもしないでプレボに預けたり、多分歴代わたしにちょっかい出されてきた人の中で一番迷惑を被っているのも彼だと思う。
誕生日にプレボに預けたストールをいつかのアメスタで首に巻いてくれていた時があった。初めて自分の贈ったものを身につけている所を目にした瞬間だった。死ぬかと思った。
 
良席を自力で出す程の交友関係も、積むだけの財力も当時はなくて、いつも第3バルコニーから双眼鏡で見つめていた。
レギュラー陣ではないので、曲があれば万々歳。なければベンチワークかリプライズ。そこがわたしにとってのメインだった。リプライズなんて、キャラクターらしからぬキレキレのダンスはかっこいいなんてもんじゃなかった。キャラ崩壊だろうがなんだろうがラケットを握って踊っているリプライズのために5600円を払っていたくらい格好良かった。
 
認知とか対応とかそんなのとは無縁で、TSCPPの最後の握手やお見送りで彼に当たったことはなかったし、ジャンハイでハイタッチが出来たのは六角凱旋のたった1回だけだった。これは通っている回数が少ないせいが絶対的にあるけど、ハイタッチや握手は出来なくて当然、出来たら万歳三唱くらいの気持ちだった。
そういう認知とかの類いの認識をおかしくさせたのが、関東立海地方公演あたりからリリイベに行き始めた某非アイドルの人たちで、ここで金銭感覚とか対応とかのいろいろなものが壊れていった。
 
テニスを卒業してわたしの目の前から彼がいなくなってから、アイドルステージの情報が解禁されるクリスマスまでの間、わたしは非アイドルの後ろ姿を追いかけていた。そうしてえびだんで心が荒んでいたころにアイドルステージの情報が解禁された時は、神様っているんだなあと思った。とても虫のいい話である。そうなったら非アイドルなんて一気にどうでもよくなった。わたしには彼しかいないぞ!という心持ちであった。
 
よくわからないまま団扇を作り、ペンライトを購入した。当時わたしは高校3年生になっていた。舞台と言ったらスタンド花というイメージが漠然とあり、けれど相場もわからずお金も無いのでアレンジメントを贈った。10000円くらいの小さなアレンジメントだった。初日が明けたとき、会場にはいくつかの華やかなスタンドが並んでいて、あの時ほどスタンドを出さなかったことを後悔することってもうこの先きっと無いと思う。
そして公演が始まり、空白の期間に非アイドルからもらったレスを全部足しても足らないくらいの爆レスをもらった。
 
残すところあと一公演という前楽のカーテンコールで、もうあと一公演が終わってしまったらまた会えなくなるかもしれない。もう一生会えないのかもしれないと思い号泣してしまった。お前この間まで違う奴追ってたじゃねえかというツッコミをしたいくらいにボロボロに泣いた。
だけど案外次の機会はすぐにやってきた。号泣が恥ずかしくなるほどあっという間に次の公演案内が来ていた。そこからの1年はずっとずっとアイドルステージだった。アイドルもういいよって思う程に。他の出演者が違った舞台に出ている時も、彼はただただアイドルステージだけの俳優だった。アイドルステージの一作品ずつが終わる度、もう会えないんじゃないか、このままいなくなってしまうんじゃないかという不安を抱えて過ごした1年間だった。
 
けれど、ある日突然アイドルステージではない、ネルケでもない舞台の公演案内が更新されていた。人狼をテーマにした作品だった。全く知らない出演者に加え、とにかく人数が多すぎるという印象を受けた。
謎舞台と仲間内で物議を醸しながら迎えた公演はなんだかんだでとても楽しく、筋書きのない舞台もなかなか良いものだなと思った。スタンド花のリベンジがようやく出来た公演でもあった。
この作品は日毎に出演者が違うので、その日出番のない役者が物販を手売りしたりしていたのだが、なんとわたしの応援していた彼もいた。そこに。
その頃までは話せる時間と言えばアイドルステージでのお見送りや握手だった。しかしお友達( )なんていう設定のせいで役者本人と会話をするのは3年目にしてこの時が初めてだった。
わたしはまた泣いた。
 
それからというもの、月に1本とは行かずともかなりコンスタントなペースで舞台があり、アイドルステージも間にちょくちょく挟みながらといった感じでとても充実していた。とても楽しい日々だった。
けれど彼には固定でついているファンが明らかに少なかった。今でも不思議に思うくらいに少なかった。
だけど、アメスタがいつも変わらぬメンツでも、自分のファンと思われる人物がひとりしか見当たらなくても、彼はいつも変わらなかった。
カーテンコールで一人一人の目をきちんと見るところも、アメスタで入室した人の名前を必ず読み上げることも。
モンスターペアレントの思い込みと思われてもいいけど、彼ほど出来た人間っていないんじゃないかとすら思っている。
 
アイドルステージの一瞬の握手の時間に、今まで全く名乗っていない自分のファンの名前を手紙の情報から一致させて推理して、面と向かって「○○さんいつもありがとう」って自分のファン全員に言うだとか、
お手紙の返信を(しかもすごく長い)だとか、お手紙に手作りのミサンガを同封するとか、手作りクッキーを同封するとか、
なんかもう文字にして書き出すと意味不明なんだけど、俳優としての仕事を超えちゃってるんじゃないかって思うほどに色々なことを"恩返し"という形で色々やってくれた。
恩返ししたいのはこっちなのに。
なんでファン少ないんだろうなあとずっと考えていた。
 
わたしが辞めてすぐに、大きな舞台が決まっていた。そうして大きな舞台でいくつかのファンをつけて、彼は初の個人イベントを開催した。当然だよね。だってかっこいいしかわいいしファンのことすごく大切にしてくれる素敵な人だから。
今年の2月末の舞台のパンフレットに神様にお願いするなら?みたいな欄があって、そこには「いつか個人イベントがやりたい!」と書いてあった。
当時は絶対無理だよと思って泣きそうになったけれど、今こうして実現させている彼がいる。
 
主演だってイベントだって、わたしはどちらも絶対無理だと思っていた。だけど年内に両方叶えている、彼の発言を現実にさせるパワーみたいなものに今まで沢山の幸せもらってきた。
主演舞台ってすごいよ。
 
普段カーテンコールで話している人を見るべきか、応援している人を見るべきか悩むけど、主演舞台ってカーテンコールで話している人が自分の推しなんだよ。
一人一人舞台の上に出てくる中で、自分の推しが一番最後に、皆に迎えられて出てくるということがどんなに素晴らしいか。
個人イベントだって、会場に集まった人全員が、彼の為だけに集まった人なんだよそれってすごくない?
物販の写真だって彼のために用意された衣装で彼のためだけに照明があてられてって、そういう一つ一つに感動をしてしまった。
テニスの頃はとてもじゃないけど人気キャスと呼べるような立ち位置ではなかった。アイドルステージで着々と固定のファンを増やしていって、一つ一つのお仕事は決して大きいものでは無かったけれど、出演者やスタッフの繋がりで色々なジャンルの作品に出演して実力をつけていた。
 
うさぎみたいに走るのは早くないけど、地道に地面を歩いて、絶対ズルはしなくて、そうした頑張りが今徐々に報われていってるんだと思う。
もう戻ることはないけど、これから先もずっと幸せを祈ってる。素敵な人だから。
俳優をやめてしまうんじゃないか、もういなくなってしまうんじゃないか、それはわからないから精一杯追いかけようとずっと思ってきたけれど、今こうして先の心配もなく、2.5次元の主演を張るようになった彼のファンでいることを"自ら"辞める選択ができたこともまた、凄いことだなあと思う。
 
いままで沢山の幸せをくれてありがとう。
きっとこれからは大きな舞台に立つことがどんどん増えていくんだろう、有言実行のあなたが世界でいちばん大好きでした。これからもずっと素敵なあなたでいてね。
 
 
おしまい。